鵲 (鴻型水雷艇)

鴻型水雷艇
艦歴
計画 昭和9年度計画(②計画[1]
起工 1935年3月4日[1]
進水 1935年10月28日[1]
就役 1937年1月15日竣工[1]
その後 1943年9月27日雷撃により沈没[1]
除籍 1943年12月1日[1]
要目(竣工時)
排水量 基準:840英トン
公試:960トン
全長 88.50m
全幅 8.18m
吃水 2.76m
機関 ロ号艦本式缶2基
艦本式タービン2基
2軸、19,000馬力
速力 30.5ノット
航続距離 14ノットで4,000海里
燃料 重油:245トン
乗員 129名
兵装 45口径十一年式12cm単装砲3門
53cm3連装魚雷発射管1基3門
(六年式魚雷3本)
40mm機銃1挺(雉、鷺、鳩は毘式)
(雁は25mm機銃1挺)

(かささぎ)は、日本海軍水雷艇鴻型の4番艇。艦艇名としては隼型水雷艇」に続いて2代目。

艇歴

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1934年(昭和9年)11月24日、と命名され[2]、水雷艇に類別[3]1935年(昭和10年)3月4日に大阪鉄工所桜島工場で起工。同10月28日進水。1937年(昭和12年)11月15日に竣工し、横須賀鎮守府籍、第一水雷隊に編入された[4]

日中戦争では、上海海軍特別陸戦隊支援、揚子江遡行作戦に従事[1]。揚子江遡航作戦中の1938年6月24日、第一水雷隊が砲台と交戦した際に「鵲」は5cm6発を被弾した[5]。また、7月6日には触雷した[6]

太平洋戦争開戦後、香港攻略作戦、海上護衛作戦に参加[1]1943年(昭和18年)9月27日、輸送船の護衛任務中にカバエナ島インドネシア語版近海で米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃により沈没[7][8]。同年12月1日に除籍。

歴代艇長

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艤装員長
  • 有本輝美智 少佐:1936年10月8日[9] -
水雷艇長
  • 有本輝美智 少佐:1937年1月15日[10] - 1937年9月28日[11]
  • 有馬高泰 少佐:1937年9月28日[11] - 1938年8月1日[12]
  • 田中万喜夫 少佐:1938年8月1日[12] - 1938年12月15日[13]
  • 中川実 大尉:1938年12月15日[13] - 1940年4月24日[14]
  • 牧野坦 少佐:1940年4月24日[14] - 1940年9月27日[15]
  • (兼)東日出夫 少佐:1940年9月27日[15] - 1940年10月15日[16]
  • 井内儀三郎 大尉:1940年10月15日[17] - 1941年8月20日[18]
  • 犬塚家孝 大尉:1941年8月20日[18] -

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第7巻、458頁。
  2. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 381頁。◎「驅逐艦山風外一隻水雷艇鵯外二隻及掃海艇命名ノ件」昭和九年十一月二十四日(達二〇一) 艦艇製造費ヲ以テ昭和九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻水雷艇三隻掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス |〔中略〕株式會社日本産業大阪鐵工所ニ於テ製造 | 水雷艇 鵲 カササギ〔後略〕。
  3. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 98頁。◎昭和九年十一月二十四日(内令四九五) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス |〔中略〕水雷艇ノ部鴻型ノ項中「鴻」ノ下ニ「、鵯、隼、鵲」ヲ加フ 〔後略〕。
  4. ^ 『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集21巻』121頁。
  5. ^ 『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降』25ページ
  6. ^ 『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降』27ページ
  7. ^ #二四特根1809 p. 42
  8. ^ #舞鎮1810 p. 22
  9. ^ 『官報』第2933号、昭和11年10月9日。
  10. ^ 『官報』第3009号、昭和12年1月16日。
  11. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第63号 昭和12年9月29日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072300 
  12. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第219号 昭和13年8月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  13. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  14. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第469号 昭和15年4月24日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900 
  15. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第535号 昭和15年9月28日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078900 
  16. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  17. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100 
  18. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第695号 昭和16年8月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800 

参考文献

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  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8』海軍大臣官房、1940年。 
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0461-X
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集21巻』哨戒・護衛艦艇 海防艦・水雷艇、光人社、1998年。
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』原書房、1981年、第3刷。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料篇、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降戦史叢書第79巻、朝雲新聞社
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『自昭和十八年九月一日 至昭和十八年九月三十日 第二十四特別根拠地隊戦時日誌』、pp. 39-47頁。Ref.C08030264300。 
    • 『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 (舞鶴鎮守府)戦時日誌』。Ref.C08030357200。 

座標: 南緯05度45分 東経121度50分 / 南緯5.750度 東経121.833度 / -5.750; 121.833