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東急

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東京急行電鉄株式会社
Tokyu Corporation
種類 株式会社
市場情報
略称 東急、東京急行、東急電鉄
本社所在地 150-8511
東京都渋谷区南平台町5番6号
設立 1922年(大正11年)9月2日
業種 陸運業
法人番号 7011001016291 ウィキデータを編集
事業内容 旅客鉄道事業・不動産事業
代表者 代表取締役会長 上條清文
代表取締役社長 越村敏昭
資本金 1,105億77百万円(2006年1月31日現在)
売上高 2,444億34百万円(電鉄単独)
1兆3,885億54百万円(連結)
どちらも2005年度
従業員数 3,508人(2006年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要子会社 株式会社東急百貨店100%
株式会社東急ストア40.4%
伊豆急行株式会社100%
東急バス株式会社100%
株式会社東急ホテルズ100%
東急建設株式会社
関係する人物 渋沢栄一五島慶太五島昇
外部リンク www.tokyu.co.jp
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東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ、英称Tokyu Corporation)は東京都南西部から神奈川県東部に路線を展開して鉄・軌道事業などを行う大手私鉄。一般的には東急(とうきゅう)と呼ばれることが多い。

公式略称は「東京急行」としていたが、2006年平成18年)1月1日より「東急電鉄」に変更した。それに伴い駅掲出のポスターチラシ類、公式サイトパスネットなどにおいて略称表記を順次「東急電鉄」に変更している。かつては英語略称として、T.K.K(Tokyo Kyuko Kabushikigaisha)を使用していた時代もあった。パスネットの符丁はTK。

概要

東急グループの中核企業である東京急行電鉄は、その成り立ちから鉄・軌道事業以外のウエイトが大きく、不動産事業、ホテル事業など、鉄・軌道事業以外の収益が同事業の収益を上回り、グループ全体の収益は毎年1兆円を超える。グループ企業には、交通関係、開発関係、流通関係、リゾート関係、ホテル関係などに400を超える法人が名を連ねる。

東京急行電鉄は、東急グループ内外を問わず東急グループの事業持株会社として認識されており、「電鉄本社」と表現されることが多い。

東横線を走る8000系 代官山駅にて

1947年から1972年まではプロ野球チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」(日拓ホームフライヤーズを経て現・北海道日本ハムファイターズ)を所有し、また映画製作・配給を手掛ける東映(旧・東横映画)は1964年まで東急グループの傘下であったが、当時東映のオーナーだった大川博と東急側との間に溝ができ、東映側が独立した。

また、かつてグループ企業に日本エアシステム(JAS、現・日本航空インターナショナル)があったことから、同社の株式移転により設立された株式会社日本航空JALグループの持株会社)の筆頭株主でもある。同社とは2006年春にJALと東急グループが提携クレジットカードを発行した。


沿革

東京急行電鉄の歴史は、西の芦屋と並び、東の田園調布と称される住宅地、田園調布の開発主体であった渋沢栄一が非営利の事業として設立した田園都市株式会社の鉄道部門を1922年9月に分離した目黒蒲田電鉄(めぐろかまたでんてつ)に始まる。創業時から都市開発の一環としての鉄道事業という位置付けは変わっていないと言えよう。戦後においても、多摩田園都市の開発に伴う田園都市線の延伸などのプロジェクトを行っている。

目黒蒲田電鉄は、1923年3月に目黒~丸子(現在の沼部)間を開業し、11月には目黒~蒲田間(目蒲線、現在の目黒線および東急多摩川線)を全通させた。また、1927年から1929年にかけて大井町線大井町二子玉川間を開通させた。また、目黒蒲田電鉄は1934年10月1日池上電気鉄道(現在の池上線を運営)を、1939年10月1日に(旧)東京横浜電鉄(現在の東横線および玉川線を運営)をそれぞれ合併し、10月16日に(新)東京横浜電鉄(とうきょうよこはまでんてつ)と改称した。この時に、現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになっている。

1942年5月26日陸上交通事業調整法による戦時統制の背景もあり、同じ五島慶太が社長を務める小田急電鉄京浜電気鉄道を合併して東京急行電鉄と改称した。1944年5月31日には京王電気軌道を合併した。また、この間の1943年には相模鉄道の運営を受託している。さらに1944年2月には五島慶太が運輸通信大臣に就任した。路線延長約320km、北は中央線から南は三浦半島、西は箱根までをテリトリーとするいわゆる「大東急」の時代となる。

戦後は独占禁止法過度経済力集中排除法が施行され、「大東急」もその影響が強まり、旧小田急電鉄関係者を中心にかつての4社への復元運動が勃発する。まず、1947年8月、五島慶太は公職追放に追い込まれ、同年に相模鉄道の運営受託を解消した。そして1948年に小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)を分離させた。同様の趣旨から百貨店部門を東横百貨店(現・東急百貨店)に分離し、多くの関連企業の持ち株も放出している。

その後、復帰した五島慶太の提唱する多摩田園都市構想に基づき、田園都市線を建設する。同線は1984年に全線開通し、多摩田園都市の基礎的インフラが完成する。1991年にはバス部門を分離し、東急バスとしている。

2000年8月6日、混雑緩和を目的に東横線の多摩川武蔵小杉間が複々線化され、目蒲線が目黒~武蔵小杉間の目黒線と多摩川~蒲田間の東急多摩川線に分割された。翌9月26日からは目黒線と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄南北線東京都交通局都営地下鉄三田線との相互直通運転を開始し、翌2001年3月28日からは埼玉高速鉄道線へも相互直通運転を拡大した。

2004年1月31日をもって東横線の横浜桜木町間を廃止し(列車の運転は30日終電まで)、1日置いた2月1日より横浜高速鉄道横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅までの相互直通運転を開始した。

2005年3月20日運賃改定では、特定都市鉄道整備事業計画の下で行われてきた田園都市線渋谷溝の口間を含む区間に対する10円の加算運賃が廃止された。

2005年5月8日に田園都市線で、7月25日に東横線でそれぞれ女性専用車両が導入された。

2007年3月18日に、共通ICカード乗車券PASMOが導入される。

鉄・軌道事業

路線

鉄道95.1km(第1種鉄道事業91.7km(東横線と目黒線の並行部分もそれぞれ計上)、第2種鉄道事業3.4km)と軌道線5.0kmの計100.1kmの路線を保有する。■の色はラインカラーである。各線の沿革、列車の運行(相互直通運転)などについてはそれぞれの記事を参照されたい。

一般的に鉄道路線はその正式名称や運行区間を変える事はあまりなく、運行形態が変わった場合は正式名称とは別に愛称などを用いる場合が多いが、東急は正式名称や区間の変更を度々行ってきた。近年では、2000年8月に目黒線と営団地下鉄南北線都営地下鉄三田線との相互直通運転開始に関連して大幅な整理、変更を行っている。変遷については路線名称変更・区間変更を参照。

乗り入れ路線

※日比谷線には東武伊勢崎線車両も乗り入れるが、東横線には乗り入れない。逆に東横線の車両も東武に乗り入れない。
※目黒線は、南北線直通と三田線直通が交互に走り、南北線直通列車は白金高輪駅で三田線列車に連絡し、三田線直通列車は白金高輪駅で南北線列車に連絡する。ともに一部列車では連絡していない。

廃止路線

部分廃止や前身会社の路線も含む。特記ない路線は地方鉄道法鉄道事業法による鉄道。

  • 玉川線(軌道):渋谷駅~二子玉川園駅(現・二子玉川駅)間(9.1km) - 1969年5月11日廃止
    • 天現寺線(軌道):渋谷駅~天現寺橋駅(2.7km) - 1948年3月10日東京都に譲渡
    • 中目黒線(軌道):渋谷橋駅~中目黒駅(1.4km) - 同上
    • 砧線(軌道→鉄道に変更。実態は玉川線と同規格):二子玉川園駅~砧本村駅間(2.2km) - 1969年5月11日廃止
  • 新奥沢線:雪ヶ谷駅(現・雪が谷大塚駅)~新奥沢駅間(1.4km) - 1935年11月1日廃止
  • 東横線横浜駅桜木町駅(2.0km) - 2004年1月31日廃止

未成路線

路線名称変更・区間変更

  • 1963年10月11日 大井町線を田園都市線に改称。
  • 1969年5月10日 玉川線のうち渋谷~二子玉川園(現・二子玉川)間を廃止、残存区間である三軒茶屋~下高井戸間を世田谷線に改称。
  • 1979年8月12日 新玉川線の営団半蔵門線との相互直通運転開始に伴い、田園都市線と新玉川線の相互直通運転開始。同時に、田園都市線から旧・大井町線区間を大井町線として再分割。
  • 2000年8月6日 目蒲線の営団南北線・都営三田線との相互直通運転の開始(9月26日)および多摩川~武蔵小杉間複々線化に伴い、目蒲線を目黒線(目黒~多摩川~武蔵小杉)と東急多摩川線(多摩川~蒲田)に分割。同時に相互直通運転を行っていた田園都市線と新玉川線を田園都市線に名称統合。
  • 2004年1月31日 横浜高速みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い、東横線のうち横浜~桜木町間を廃止。

事業中の区間

構想中の区間

大倉山駅付近から新横浜駅を経由して東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道貨物線の横浜羽沢駅までの新線を建設し、西谷駅からの新線を建設する相模鉄道との相互乗り入れを行う構想が2006年5月25日に発表された。詳細は未定だが、日吉駅からの延伸扱いとなることから目黒線の延伸が有力視されている。当初は大倉山から新横浜、鶴ヶ峰を通って二俣川に至る計画だった。

車両

2006年5月24日現在、鉄道線用1,041両と軌道線用20両の計1,061両を保有する(緊急予備車・休止車両・保留車・横浜高速鉄道所有車両を除く)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。

鉄道線用

現有形式

2007年度に大井町線向けと池上線・多摩川線向けにそれぞれ新型車両を導入する予定。

旧在籍形式

東京急行電鉄成立以前に消滅した形式

東京急行電鉄成立後の在籍・消滅形式

この他、車両不足の応援やイベント用、軌道検測などを目的に、他社から短期間の借入車(相模鉄道モハ1050形、国鉄モ二13形伊豆急行2100系JR東日本マヤ34形など)が存在した。

軌道線用

現有形式
旧在籍形式

車両基地・工場

廃止になった施設

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2005年3月20日改定。

軌道線(世田谷線)とこどもの国線の運賃は両線以外の鉄道線とは別に定められており、キロ程は通算できない。

  • 鉄道線(軌道線(世田谷線)・こどもの国線を除く)
キロ程 運賃(円)
3 120
4~7 150
8~11 190
12~15 210
16~20 240
21~25 260
26~30 290
31~35 320
36~40 360
41~45 390
46~50 420
51~56 450

※東横線(渋谷駅武蔵小杉駅間)の前後でJR線を利用する場合は、通過連絡運輸が適用される。ただし、JR線の乗車区間が渋谷側は東京山手線内、武蔵小杉側は南武線矢向駅宿河原駅間)の場合に限る。

  • 軌道線(世田谷線)
    • 全線140円均一

割引乗車券

  • 世田谷線散策きっぷ(発売当日に限り何回でも世田谷線各駅で乗り降り自由。大人320円、小児160円。)
  • みなとみらいチケット(東急線乗車駅から東横線横浜駅までの往復乗車券と「みなとみらい線一日乗車券」のセット。みなとみらい線内は乗り降り自由。)
  • 東急東京メトロパス(東急線乗車駅から東京地下鉄(東京メトロ)接続駅(渋谷駅中目黒駅目黒駅)までの往復乗車券と「東京地下鉄一日乗車券」のセット。東京メトロ線内は乗り降り自由。)

鉄道業におけるサービス・ソフト面の特徴

  • グループに東急車輛製造を持つことから、日本で最初のステンレスカー5200系を導入、さらにアメリカのバッド社との技術提携により1962年に日本で最初のオールステンレスカー7000系も導入した。
  • 車両の技術面に関しては先進的で、6000系回生ブレーキ装備、1台車1モーターと、経済性を追求した。8000系からは日本初の省エネ性に優れ、かつ製造コストが安い界磁チョッパ制御を導入した他、動作性に優れた「全電気指令式電磁直通ブレーキ」を装備した。またコンピュータを用いた軽量車体の設計にも挑み、8000系に試験車を組み込んだ(2005年までに廃車された)。その試験結果を元に製造したのが8090系である。VVVFインバータ制御への取り組みも早く、1984年には、6000系の一部をを改造して実用試験を行いその結果を元に1986年には量産車として9000系を登場させている。このように、様々な先進技術を積極的に導入し、日本の鉄道界の模範となって来た。
  • しかし、その一方で車両デザインは極めてシンプルであった。これは車体に加工が難しいとされるステンレスを古くより本格採用したために箱型の平妻正面が数多く登場し、これを比喩して「弁当箱スタイル」と呼ばれることも多かった。3000系以降はFRPを多用することで平妻正面をやめている。
  • 1989年、東急の鉄道線最後の旧性能車両である3000系列が運行終了したことによって、日本の鉄道で初めて鉄道線の全車両が回生ブレーキ装備車両となった。
  • 5000系の導入により(田園都市線5000系・東横・みなとみらい線5050系・同Y500系・目黒線5080系の一部)全車両のドアの上に液晶ディスプレイ(LCD)を当初は1基(5101F)、その後2基設置(5102F以降、路線情報とその他の情報)している。後にその他の情報を流すLCDは『TOQビジョン』と命名された。さらに5000系では2005年4月27日から1編成に2両(5・8号車)ずつ6ドア・座席格納車両を順次連結している。これは朝ラッシュ時の上り電車で長津田駅から半蔵門駅まで座席を格納する。
  • 最近は京成電鉄京王電鉄阪急電鉄しなの鉄道などと同様に、テレビ番組映画ドラマ撮影でも時折東急線が登場している。これは『Tokyu C&C事業』として東急グループの施設での撮影が可能となったことによる。
  • 2007年現在、在籍するすべての編成に1~2ヶ所ずつ車いすスペースを設置している。
  • 東急線全駅に設置されているオレンジ色の自動券売機の一部では、定期券クレジットカードで購入できる。
  • 近年、漢字を主体に表示する駅名標を用いる鉄道が多い中、東急ではデザインの変更はあるものの、ひらがなを主体にした駅名標を引き続き使用し、子供やとっさに駅名を知りたい乗客に配慮している(ただし、隣の駅名については漢字標記である。)。
  • 2005年6月10日の大井町線・池上線・東急多摩川線・世田谷線のダイヤ改正から、時刻表を無料配布化した。
  • 安全対策に関係する投資に積極的で、保安装置は田園都市線東横線目黒線ATC大井町線池上線東急多摩川線ATSとなっている。このうち目黒線はホームゲートとTASC(定位置停止装置)、池上線と東急多摩川線がホーム柵と赤外線センサー、TASCを導入し、安全性の向上と省力化の両立を図っている。また、世田谷線は「車内警報装置」(加速防止機能付き)と「列車無線」を導入している。
  • 東急では路線によって側面の「各停」種別を表示する路線(東横線・目黒線と大井町線の一部)と表示しない路線(田園都市線・池上線・東急多摩川線・世田谷線)がある。
  • LED行先表示をする車両には、田園都市線・東横線・目黒線・世田谷線がゴシック体、大井町線・池上線・東急多摩川線に所属する車両が明朝体で行先表示を行う。

女性専用車

東急では、以下の路線で女性専用車を導入している。

  • 田園都市線:2005年5月9日から平日の始発~9時30分の渋谷方面行の全列車に導入した。半蔵門線押上駅まで続く。9時30分の時点で女性専用車の運用は終了し、一般車両となる。
  • 東横線:2005年7月25日から平日の特急・通勤特急・急行に首都圏の鉄道路線では初めて終日導入した。設定位置は元町・中華街寄りの8号車である。しかし、菊名駅では改札口が横浜寄りにしかなく、同駅を利用する乗客には8号車が改札最寄りの乗車位置となり、男性利用客は遠い位置まで歩くのを余儀なくされ、苦情が多くなり、同駅での男性乗車客は8号車から7号車へ移動させられることを余儀なくされた。そのため、8号車は空いているのに7号車が異様に混雑していることもあった。また、夏になると、隣6号車が弱冷房車なため、6号車が不人気となり、7号車に移動してくる人も多い。結果的に7号車が混雑するため、菊名駅発車遅延原因となった。その後、横浜方面に階段、エスカレーターがある、綱島駅、日吉駅を経て武蔵小杉駅に到着するため、ラッシュ時の急行の武蔵小杉駅到着が1~2分遅れることが��しくなかった。また、その他の東横線駅も8号車やその付近に階段などがあることが多かったため、各停から特急・通勤特急・急行への乗り換えの際にわざわざ移動しなければならないこともあった。これを受けて、東急では2006年7月18日から、時間帯を平日の始発~10:00(上下線)および17:00~終電(下りのみ)と縮小した上で、設定車両を5号車へ変更すると発表した。これで菊名発車遅延はほぼ解決した。
  • 日比谷線直通東横線:1000系、日比谷線直通列車の1号車(渋谷方面)が女性専用車両。日比谷線北千住駅を平日7時30分から発着する中目黒方面行の電車が対象で、9時で一斉終了となる。東横線内では実施せず。

提携など

主要グループ企業

東急グループを参照。

参考文献

  • 東京急行電鐵株式會社編『東京横濱電鐵沿革史』、東京急行電鐵、1943年3月
  • 東京急行電鉄株式会社総務部文書課編『東京急行三十年の歩み』、東京急行電鉄、1952年10月
  • 東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局編『東京急行電鉄50年史』、東京急行電鉄、1973年4月
  • 東京急行電鉄(株)田園都市事業部編『多摩田園都市 : 開発35年の記録』、東京急行電鉄、1988年10月

関連項目

外部リンク