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佐々重

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中央通りとの交差点から(2008年10月)
東二番丁通りから見た店舗(2008年10月)
一番町平和ビル(2008年5月)

佐々重(ささじゅう)は、日本の宮城県仙台市青葉区一番町3丁目にある味噌の醸造販売会社である。味噌屋として1854年創業になる仙台味噌の老舗である。

概要

佐々重の屋号は、代々の当主が名乗った佐々木重兵衛の名による。2008年現在の社長は、2006年10月に就任した9代目の佐々木淳一郎である[1]

仙台の中心街、中央通りのマーブルロードおおまちと東二番丁通りの交差点という目立つ位置に店を構え、仙台では老舗の味噌屋として知られる。「本場仙台味噌」などの自店の味噌、「仙台みそ味かりんとう」など味噌を素材にした菓子類、醤油などと、日本各地で作られた伝統を生かした「良い食品」を売る。自社製品は通信販売もしている。

歴史

藩政時代

佐々重が味噌の販売をはじめたのは安政元年(1854年)10月2日、ささき屋4代目重兵衛のとき、仕込みは3年前の嘉永4年(1851年)のことであった[2]。長い熟成期間を要する味噌屋は資本力を必要としたが、当時の大きな家は麴屋から麴を買って自家で味噌を仕込んでいたので、江戸時代の購買者はどちらかというと貧しい家である。仙台味噌伊達政宗の時代にはじまり、最も由緒あったのは藩の御用をつとめた真壁屋であった。幕末創業の佐々重は江戸時代・明治時代には新興勢力と言えた[3]

佐々木重兵衛は、廃藩置県直前の1871年(明治4年)に、仙台藩が市長・副市長の下に任命した28名の町人代の1人に任命された。この市長以下は一時的・過渡的な制度で、町人町にだけ置かれたものである[4]

明治から戦前まで

明治に入ると仙台は十数年間におよぶ経済沈滞に陥り、特に城や上級家臣の需要に頼っていた商家が軒並み没落し、かわって一般消費者向けの商人が台頭した。味噌製造業では自家生産の衰退が需要拡大につながった[5]。佐々重はこの波に乗って拡大し、明治末には佐々木重兵衛が仙台市の高額納税者の2番目につけ、店舗のほか大町五丁目のあちこちに土地を所有するまでになった[6]

またこの頃から県の業界で指導的立場につき、5代目の重兵衛は、同業組合準則にもとづく1898年(明治31年)の宮城県味噌醤油醸造同業組合の設立の際に初代組長になった。佐々木重兵衛は、工業組合法を受けて1936年(昭和11年)に仙台味噌醤油工業組合が設立されたとき、初代理事長になった。1939年(昭和14年)に宮城県味噌醤油工業組合連合会が設立されたときも佐々木重兵衛が初代理事長になり[7]、一貫して県の業界の要職にある。

佐々重を筆頭とする仙台の味噌醤油業者は、1919年(大正8年)に共同出資により仙台味噌醤油株式会社を設立し、郊外に工場を建てた。現在の仙台味噌の最大手である「ジョウセン」はこの会社のブランドである。大町にある佐々重の店舗・工場はそのままで、1937年(昭和12年)に株式会社に組織替えした。

1927年(昭和2年)に、大町五丁目共同会の会長だった7代目の重兵衛が、三原屋本店の三原庄太とともに七夕大売出しを提唱し、後に全国的に有名になる仙台七夕の始まりを開いた[8]

戦後

1945年仙台空襲で、佐々重の店と工場は焼失した。これを機に製販を分離し、仙台味噌醤油株式会社に自社の製造部門の人員を移して販売会社になった[9]。こうした経緯により、仙台味噌醤油株式会社は「同系」「系列」とも言われる。佐々重の社長佐々木淳一郎は、2008年5月まで仙台味噌醤油株式会社の社長で、その後は会長である[10]

戦後復興の際に東二番丁は50メートルに拡幅したので、佐々重はそれに従って店の位置を移した。同じ交差点の角であっても、旧店舗の地は東二番丁通りの車道になっている。1973年に8階建ての佐々重ビルを建て、その1階を店舗にした。

1975年(昭和50年)に良い食品作りの会の販売協力店第1号となり、社長の佐々木重兵衛が「良い食品を作る会販売協力店会」の初代会長になった。味を損なうような量産技術や食品添加物を極力用いずに安全・良質な食品を製造・販売しようとする業者の集まりである。この会は1993年(平成5年)に分裂解散したため、後継団体の一つである「良い食品づくりの会」に加盟した。

2007年10月に、建て替えの必要がでてきた自社ビルを平和不動産に売却した。佐々重ビルは一番町平和ビルと改称された。店舗は平和不動産からの賃貸でそのまま営業を続けているが、近く建て替え予定の新ビルに入居するかは未定という[11]

脚注

  1. ^ 『仙台っこ』通号71号、2006年12月・2007年1月、16頁。
  2. ^ 『仙台のしにせ』77頁。
  3. ^ 佐々久「宮城県工業史」519頁。
  4. ^ 1955年刊『仙台市史』20頁。
  5. ^ 佐々久「宮城県工業史」519頁。
  6. ^ 『あきんどの町』92頁。
  7. ^ 『味噌沿革史』308頁。
  8. ^ 『仙台七夕 伝統と未来』55頁。
  9. ^ 『仙台のしにせ』77頁
  10. ^ 仙台味噌醤油工業協同組合のサイト内の宮城のみそ屋さん(2008年閲覧)。また、『日本食料新聞社』サイト 2008年5月2日付「仙台味噌醤油、新社長に遠藤勝之専務が昇格」。
  11. ^ 『河北新報』2007年10月23日付朝刊。

参考文献

  • 「あきんどの町」編集委員会『あきんどの町 おおまちに至るまでの四○○年』、大町商店街振興組合、1984年。
  • 近江惠美子『仙台七夕 伝統と未来』(仙台・江戸学叢書3)、大崎八幡宮、2007年。
  • 佐々久「宮城県工業史」、宮城県史編纂委員会『宮城県史』第9巻(産業1)、宮城県史刊行会、1968年。復刻版はぎょうせいから1987年。
  • 全国味噌工業協会編 『味噌沿革史』 全国味噌工業協会 1958年
  • 仙台市史編纂委員会『仙台市史』第2巻(本篇2)、仙台市役所、1955年。
  • 『仙台っこ』通号71号、2006年12月・2007年1月、冬陽号。
  • 仙台のしにせ編纂委員会『創業百年以上 仙台のしにせ』(仙台商工会議所創立100周年記念)、仙台商工会議所、1992年。

外部リンク