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浅田彰

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浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は、日本の思想家・批評家。京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長[1]

来歴

『構造と力』

兵庫県神戸市出身。1983年、京都大学人文科学研究所の助手時代に、構造主義ポスト構造主義の思想を一貫した見取り図のもとに再構成する『構造と力』を発表。思想書としては異例の15万部を超す大ベストセラーとなり[2]、同時期に『チベットのモーツァルト』を発表した中沢新一などとともに、いわゆる「ニュー・アカデミズム」の旗手として一般メディアを舞台に幅広い批評活動を開始した[3]

当時の日本では、ロラン・バルトフーコーレヴィ=ストロースなどのフランス現代思想がさかんに紹介されていたが、思想家ごとの紹介にとどまることが多く、かれらを思想史全体に位置づける試みはほとんど行われていなかった[2]。そうした状況のなか浅田が『構造と力』において、デリダの脱構築の哲学や、ドゥルーズとガタリが用いたラカン派精神分析の思想など様々な潮流を俯瞰し再構成してみせたため[4]、同書はフランス現代思想に対する「知の見取り図」として受容されることになった[5][2]

『逃走論』

翌1984年には、一般誌などに寄稿したエッセイを集めた『逃走論』を発表。同書ではドゥルーズとガタリ、またマルクスなどの思想を従来のように正面から一点集中的に読み解こうとするだけではなく、多面的な視点を相互に移動しながらテクストに向き合う姿勢が必要だと説いた[6]。この対比を、浅田は特定の価値観や立場・見方に固執するパラノイア(偏執狂)型と物事に固執しないスキゾフレニア(統合失調症)型に二分したが[6]、これは「パラノからスキゾへ」というキャッチフレーズとして、当時の流行語となった[2][7]

1984年から87年まで雑誌『GS』で活動したのち、90年代は柄谷行人とともに思想誌『批評空間』の編集委員[8]をつとめ、『季刊思潮』『InterCommunication』『Any』といった思想誌の編集にかかわっている。

『逃走論』 以後の批評活動

『逃走論』 以後の浅田の著作は、対談・短いエッセイなどの再構成が中心となり、叢書の編集や芸術祭・映画祭の監修など幅広い分野で活動を続けている[2]。浅田の師の一人である数学者の森毅は、浅田の本領は、一見無関係なものを関連づけ、全体の中に位置づけなおして新たな光をあてる広義の「編集」行為にあると指摘している[9]。また浅田の紹介・評価がきっかけとなって、多くの思想家やアーティストが注目を浴びることになった[10]

2008年、京都大学経済研究所准教授を退職し、京都造形芸術大学大学院長に就任した[1][2]。建築家の浅田孝は叔父に当たる。浅田が執筆したテキストは、浅田彰書誌[3]に詳しい。

発言・エピソード

  • 2000年以降の思潮として、新自由主義の波及によって人文知の成立する余地が失われた結果、文学の世界でも市場論理を優先するライトノベルケータイ小説アニメゲーム主流になり、文学が「ふきさらしの荒野」に出てしまったと述べ[11]、さらに「亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている[12]
  • 2000年代に起きた情報環境、メディア環境の急激な変化に関しては、「簡単に検索し操作できるというのは、すばらしいことに違いない。けれども、それとは別の次元で、モノとしての知に直接かつ偶然に遭遇できる場が絶対必要。そのような場、そのような遭遇をどうやって可能にしていくかというのが大きな問題だ」と述べている[11]
  • ソーカル事件などで示されたフランス現代思想潮流の衒学性の問題に対して、ソーカルらによる論証は対象となるそれぞれの論者を本質的に批判してはおらず、また批判の根拠たる科学主義も絶対とはいえないと応じながらも、ソーカル事件の教訓を強調し、不必要な衒学は戒めなければならないとしている[13]
  • 1987年辻元清美との皇室に関する話題にて、天皇制について「無くならない。戦後直ぐに責任者として追求すべきだった」と述べた[14]
  • 昭和63年昭和天皇が病床に就くと多くの人が皇居を訪れ記帳したが、その光景に浅田は北一輝の天皇論に言及するなかで「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです」と発言し[15][16]、保守派を中心に抗議を受けた[17]。平成から令和への改元にさいしては、このときのことを振り返りつつ「政府とマス・メディアの煽り立てる「奉祝ムード」の中で歴史健忘症をますます激化させている」とする小文を発表した[17]
  • 経済学部・大学院経済学研究科の出身で、専攻は経済学としていた。ほかに経済思想史に関する論文を執筆したこともあり、2008年まで京都大学経済研究所に助教授(准教授)として勤務していた。ただし80年代後半以降からは経済学関係の著作はなく、現在は経済学者は「廃業」したと述べている[要出典]
  • 評論家の吉本隆明は浅田彰について「専門だという理論経済学の分野でも、学者としてちっとも優秀じゃない[18]」と批判していた。一方浅田は、のちに吉本が死去したさい、吉本が日本社会での経済格差の拡大や福祉予算の圧縮などを擁護していたことを指して「思想家としての存在意義はかなり以前に終了していた」と批判した[19]
  • 2019年には国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」が抗議を受け展示を中止した問題[20][21][22][23]について、「公権力を持った人が、展覧会をやると言った以上、個々の作品に対していいとか悪いとか口を出すことは検閲に近い」と批判し、また「世界の支配的な潮流は多文化主義だ。多様な文化が混在しているなかで、他者を尊重し、傷つけないようにしようという態度はひとまず正しいと言える」が、「誰も傷つけない表現というものには、ほとんど意味がない。知識人は大衆の逆鱗に触れるために存在している」と述べた[24]
  • また、同年8月に政治家の田中康夫氏と対談した米中首脳会談及びG20大阪サミット等についての記事では「安倍政権は、天皇の代替わりを政治利用した」、「隣国(朝鮮半島)を植民地化なんかしたら100年たっても恨まれて当然なのに」と自身の政治的見解について語った[25]

略歴

兼職

著作

  • 構造と力――記号論を超えて』(勁草書房, 1983年)
  • 『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年)
  • 『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年)
  • 『ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年)
  • 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年)
  • 『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫, 1999年)
  • 『フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年)
  • 『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年)
  • 『映画の世紀末』(新潮社, 2000年)


共編著など

  • 浅田彰・佐和隆光ほか『科学的方法とは何か』(中央公論社中公新書], 1986年)
  • 浅田彰・島田雅彦『天使が通る』(新潮社, 1988年)
  • 浅田彰・松浦寿輝『ゴダールの肖像』(とっても便利出版部, 1997年)
  • 浅田彰・田中康夫『憂国呆談』(幻冬舎, 1999年)
  • 浅田彰・柄谷行人ほか『マルクスの現在』(とっても便利出版部, 1999年)
  • 浅田彰・田中康夫『新・憂国呆談 神戸から長野へ』(小学館, 2000年)
  • 浅田彰・佐和隆光『富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか』(ダイヤモンド社, 2001年)
  • 浅田彰・四方田犬彦大野裕之『パゾリーニ・ルネサンス』(とっても便利出版部, 2001年)
  • 浅田彰・田中康夫『憂国呆談リターンズ 長野が動く、日本が動く』(ダイヤモンド社, 2002年)
  • 浅田彰・柄谷行人ほか『必読書150』(太田出版, 2002年)
  • 浅田彰・田中康夫『「ニッポン解散」 続・憂国呆談』(ダイヤモンド社, 2005年)

訳書

  • メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年)

連載

  • 憂国呆談 ソトコト(2008年1月号-)

関連文献

  • 安藤 礼二「浅田彰 ─ 「知」への切断と介入」(『大航海』 (55), 102-105, 2005)
  • 笠井潔「浅田彰という装置 ─ 浅田彰『構造と力』」(『文芸』23(5), p212-222, 1984-05)
  • 能本勲「記号論からの〈逃走〉 ─ 浅田彰(『早稲田文学〔第8次〕』 (102), p28-29, 1984-11)
  • 筑紫哲也「若者たちの神々:1 浅田彰」(『朝日ジャーナル』 26(15), p43-47, 1984-04-13)
  • 津村喬「〈逃走〉する者の〈知〉 ─ 全共闘世代から浅田彰氏へ」(『中央公論』 99(9), p46-61, 1984-09)
  • 三浦雅士「荒々しい「現在」を走り抜く」(『朝日ジャーナル〈特集:浅田彰「現象」を解く〉』 26(15), p14-16, 1984-04-13)

脚注

  1. ^ 教員紹介|大学案内|京都造形芸術大学”. 京都造形芸術大学. 2019年10月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「浅田彰」(『日本大百科全書』小学館、2018)
  3. ^ 「浅田彰」(上田正昭ほか監修『日本人名大辞典』講談社、2001)
  4. ^ 浅田彰『構造と力―記号論を超えて』勁草書房、1983
  5. ^ 安藤 礼二「浅田彰 ─ 「知」への切断と介入」(『大航海』 (55), 102-105, 2005)
  6. ^ a b 浅田彰『逃走論 ─ スキゾ・キッズの冒険』ちくま文庫、1986
  7. ^ 「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン「第1回新語・流行語大賞
  8. ^ その総目次は浅田彰aabiblio @ ウィキ
  9. ^ 森毅『世話噺数理巷談』平凡社、1985
  10. ^ たとえばスラヴォイ・ジジェクは、『批評空間』で日本ではじめて特集記事が組まれ、青山真治の映画『EUREKA』も浅田の評価がきっかけとなった。
  11. ^ a b 松浦寿輝との対談(『表象』no.01, 2007)
  12. ^ 『InterCommunication』no.58、2006年秋号「特集=コミュニケーションの現在・2006 五感へと遡行する多角的考察」 なども参照。
  13. ^ 浅田彰「『山形道場』の迷妄に渇!」
  14. ^ 辻元清美『清美するで!! 新人類が船(ピースボート)を出す!』第三書館、1987年、147頁。
  15. ^ 『文学界』1989年2月号
  16. ^ この浅田の発言に対して、保守派の論客・谷沢永一は、言論の自由は存在するから本人がそう信じているのであればどうおっしゃろうと自由と断りを入れた上で、「税金で賄われている京都大学の月給で生きていくことはやめ、即刻京都大学助教授の職を辞して自分の二本の足で立って独り立ちして「土人」の世話にならず生きるべきだ」などと批判した。
  17. ^ a b REALKYOTO – CULTURAL SERACH ENGINE » 昭和の終わり、平成の終わり”. 2019年9月2日閲覧。
  18. ^ 吉本隆明『超「20世紀論」上』アスキー、2000年9月、199頁。ISBN 978-4756135698 
  19. ^ 『朝日新聞』2012年5月16日;『産経新聞』2012年4月7日
  20. ^ 展示中止問題については「あいちトリエンナーレ」内の記述を参照。
  21. ^ 「週刊文春」編集部. “74%が反対「慰安婦少女像」の芸術祭展示問題アンケート結果発表”. 文春オンライン. 2019年10月1日閲覧。
  22. ^ 昭和天皇の御真影を使った作品 津田大介氏の過去の発言に注目集まる”. ライブドアニュース. 2019年10月1日閲覧。
  23. ^ 「天皇が燃えたりしてるんですか?」という質問に津田大介芸術監督が笑顔で反応する動画が拡散中 和田政宗議員もツイート (2019年8月7日)”. エキサイトニュース. 2019年10月1日閲覧。
  24. ^ 「誰も傷つけない表現に意味ない」 浅田彰氏、複雑化する自主規制に警鐘 「不自由展」問題”. 毎日新聞. 2019年10月1日閲覧。
  25. ^ ソトコト編集部 (2019年8月5日). “憂国呆談 season 2 volume 110 | sotokoto online(ソトコトオンライン)”. ソトコト. 2020年3月25日閲覧。

関連項目

外部リンク

そのほか