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平沢進

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平沢 進
Susumu Hirasawa
別名
生誕
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴 東京デザイナー学院
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1973年 -
レーベル
事務所
  • MODEL HOUSE→オクターブ(1979年 - 1989年)
  • I3 PROMOTION(1989年 - 1997年)
  • CHAOS UNION(1997年 - )
共同作業者
  • MANDRAKE(1973年 - 1978年)
  • P-MODEL(1979年 - 2000年)
  • (1984年 - 1996年頃)
公式サイト SUSUMU HIRASAWA OFFICIAL WEBSITE
ケイオスユニオン公式チャンネル
YouTube
チャンネル
活動期間 2007年10月18日 -
ジャンル 音楽
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年9月30日時点。
テンプレートを表示

平沢 進(ひらさわ すすむ、1954年(昭和29年)4月1日 - )は、日本のミュージシャン音楽プロデューサー映像CGアーティスト有限会社CHAOS UNION(ケイオスユニオン)代表取締役[3]第79回アカデミー賞歌曲賞部門ノミネート候補[4][5]。国内外問わず、音楽業界内外の創作家に影響を与えている。愛称は「師匠[注釈 5]ヒラサワ[注釈 6] 「ステルス[注釈 7]音楽使い[注釈 8]

概要

1973年にロックバンド・MANDRAKEを結成、音楽活動を開始。1979年テクノ御三家の一角、P-MODELのボーカル・ギター担当としてメジャーデビュー1984年から自作サンプリングマシンを使用した実験音楽サンプリングユニットも結成。1989年以降はバンド、ユニットと並行してソロ活動を開始する[6]。ソロ作品では、より歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去神話/民族的)」と「未来SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような独自の音楽世界を確立した[7]

プログレッシブ・ロックテクノポップニューエイジポストパンクニュー・ウェイブシンフォニー(交響曲)等と音楽性は幅広い[1][8]。並びに東南アジア江戸木遣落語といった民族音楽及び伝統音楽にも造詣が深い[9][10]。多数の別名を使用しており、バンド、ソロ、サウンドトラック、提供曲を含め総作曲数は400曲を超える[11]

歌唱では軍人のような低い声にシャウトからオペラのようなファルセットまで、様々な声色を使い分ける[12][13]。演奏手法はタルボギター[14]アコースティックギター[15]エレクトリックチェロ[16]の他、プログラミング[17]VOCALOID[18]テスラコイル[19]レーザーハープ[20]に自作楽器[21][22][23]など多岐にわたる。

平沢独自の音楽性、世界観と活動は米津玄師[24]DAOKO[25]Aimer[26]メトロノーム[27]トビー・ドライヴァー[28]、リッカルド・ブレッド[29]等のミュージシャンの他、三浦建太郎今敏[30][31][32][33]秋元きつね古坂大魔王[34]吉田大八[35]、ベネディクト・シュナイダー[36][37][38]といったクリエイター等も国内外問わず影響を公言している。常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外のさまざまなアーティストたちへ影響を与え続けている[39]

インターネット黎明期から活用しており、1994年に観客参加型のマルチメディアコンサート「インタラクティブ・ライブ」を支援者の協力を得て開催[40][41][42]2000年に行われた「インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ」が平成14年度、デジタルコンテンツグランプリ2001において「作品表彰の部」の最高賞である経済産業大臣賞、並びにエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している[43][44]。インタラクティブライブについて詳細は後述する。

また、2006年にはアニメ映画『パプリカ』の劇伴を担当し、主題歌である「白虎野の娘」が米国で行われる第79回アカデミー賞歌曲賞のノミネート候補に選定された[45][46]

1999年にはメジャーレーベル出身のアーティストで国内初となる、MP3によるデジタル音楽配信を開始する[47][48]。それに伴い、音楽配信の弊害となるメジャーレーベルを離脱し、以降は自社レーベル「CHAOS UNION[49]」にてインターネットを中心に活動を行っており、作品の販売や無料DL配布[50]、ライブコンサートも自身と少数の社員らで企画して行っている[6]。公式ファンクラブは「GREEN NERVE(GN)」[51]

独身であり子供はいないが[52]子供好きで知られ、タイ王国では児童保護団体にツアー収益を寄付している。

メジャー音楽産業から縁を切り、自身はメジャーアーティストでは無いとしており「ステルスメジャー」と自称している[53]

来歴

P-MODEL結成まで

幼少期に夢見が悪くラジコンの改造を楽しんでいたが、乳配達のお兄さんがクリームレコードなどを実家への配達時に教えてくれる等して音楽にへと傾倒していった[54]。1965年の10歳頃、THE SPOTNICKSスウェーデン語版[55][56]The Atlantics英語版[57]に触発されエレキギターを手に取り音楽活動を始める。小学生時代はクラスと教師ぐるみで肉体的、精神的リンチ行為の標的にされていた。集団に校舎から隣校舎にぶら下げられ、体質上の問題で肉類を苦手としたが偏見の強かった当時では理解を得られず、教師に強制的に給食で食べさせられトイレで喉を切りながらと共に吐き出す等といった生活を毎日過ごしていた。小学4年生になり恩師に出会わなければ、自身による自身の評価は最低なまま人生を過ごしていたとゲンロンカフェ等にて語っている[58]。ギター技術を買われて大人達のバンドに誘われ、神社等でセッション等をして過ごしていたが学校では自身がエレキギターを演奏していた事は隠していた。当時はバンドや飼っていたと過ごすのが楽しかったとしている[59]。その後、一旦音楽を離れモトクロスに転向するが、高校生のときにトラックとの事故を起こし、音楽活動を再開する[57][60]。学生時代はバイト中に年上の男性からセクハラや電車内で痴漢などの性被害にあう等もした[61]。高校時代は宮沢賢治の書籍を好んだ[62]

東京デザイナー学院に進学した1973年頃にHR/HMバンド『マンドレイク』を結成[63]。初期はブラック・サバスをコピーする[64]などハードロック色が濃かったが、年々プログレッシブ・ロックに傾倒していった。結成当初、平沢はボーカリストではなかったが活動途中にボーカル担当が失踪して行方知れずとなった為、代役としてボーカリストを始めた[65]。 1975年に卒業制作作品「Hall for Tangerine dream〈胎内から宇宙意識への回帰〉」を発表。インテリアデザイン科を好成績で卒業する[66]。マンドレイクはレコード会社数社に声を掛けられるほど成長したが、1978年に解散する[67][68]

マンドレイク解散前には既にP-MODELへの模索が始まっており、マンドレイクのメンバーであった田中靖美と共に、電子音楽を演奏するバンド『バッハ・リヴォリューション』に参加。同バンド内で神尾明朗と出会う。神尾とは後にP-MODELで「FISH SONG」を共作し、P-MODELや平沢ソロのプロデューサーを務める事となる。同時期にモーグ・シンセサイザーを用いてバロック音楽などをアレンジしたものを製作[注釈 9]。1978年には神尾の勧めで週刊プレイボーイ誌上で行われたシンセサイザーの多重録音コンテストに参加。作品「いりよう蜂の誘惑」が入賞し、入賞作品を集めたコンピレーション・アルバム『驚異の頭脳集団』に収められメジャーリリースされた[68][注釈 10]

1979年にP-MODELを結成し、メジャーデビューを果たす[68]。当時レコードが売れても中々自分達の手元に金銭が渡らず、餓死しかけたため平沢は全財産600円で「食べられる雑草の本」を購入した事もあった[69][70]XTCヴァン・ヘイレンの来日ツアーの前座を務め、日本武道館での演奏も行った[71]。対バン中にヴァン・ヘイレンがP-MODELの曲を気に入り演奏する等もした[72]。1980年3月に京都で行ったライブに当時京都に滞在していたデヴィット・ボウイが観客の一人として参加。ライブ後にメンバーらの楽屋にボウイは訪れ、彼らと語らった[73]。米国に帰国後、ボウイは米国版PLAYBOY誌にて坂本龍一と対談し、坂本から日本に気になるアーティストが居たかと聞かれた際、ボウイはP-MODELが気になっていると語っている[74]。2016年、ボウイが死去した翌日に平沢は自身のTwitterにて当時の思い出と彼への思いを語っている[75]

また、1978年から1981年頃まで『バッハ・リヴォリューション』のメンバーが運営する会社「エレクトロサウンド」に所属し、ヤマハのシンセサイザー教室の講師やマニピュレータ、CMソング制作などの仕事を行うようになる[68]。バンド活動と並行してペンネームでの楽曲制作を行い、プロレスラー長州力の入場テーマ曲「パワー・ホール」を異母犯抄として作曲[76]ストロング・マシーンの入場曲「ハリケーンズ・バム」も福来良夫名義で作曲している[77]。1982年には平沢が講師を務めていたシンセ教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理をShampooとしてプロデュースを行い、メジャーデビューをさせている。CMソング制作は90年代前半まで行っており、テクノポップからカントリー風な物まで様々な作風の物を作曲した。これが平沢ソロでのバラエティに富んだ音楽性に繋がっている[78]

1984年には実験音楽ユニット『』を結成[6]し、1996年までにシングル・アルバム含め6作品を発表している[79]。また、1987年頃から4-Dの小西健司と共に「不幸を退治する」との名目でフロッピーの往復書簡で楽曲制作を始める[80]。この時に制作された楽曲は1996年に「不幸のプロジェクト」名義でアルバム『不幸はいかが?』として発売された[81]

ソロデビュー

1988年12月、P-MODELが『凍結』と称して活動休止を宣言。戸川純ヤプーズのサーポートなどをその間に行う。TV番組「夢で逢えたら」のバッハスタジオⅡに出演し、ダウンタウンウッチャンナンチャン並びに戸川純らと共にセッションを行った[82]

同年12月から2002年3月まで、ニフティサーブ(パソコン通信)のAMIGAフォーラムにて平沢進のエッセイ『来なかった近未来』が連載された[83]

翌年である1989年1月に当時のファンクラブ「モアレ・クラブ」会員向けに全編CGで作られたビデオ『平沢進のCG年賀状』が販売され、同ビデオ内でP-MODELの活動休止の経緯とソロ活動開始を発表する。同年9月にアルバム『時空の水』をリリースし、ソロとして活動を開始[6]。同時期に所属事務所をMODEL HOUSEからアイスリープロモーションへ移籍する[84]

1991年にはロボットSFアニメOVAデトネイター・オーガン」の音楽を担当する[85]。以降は劇伴製作にも進出し、志摩スペイン村にて上演されたライブショー『ロストレジェンド〜失われた大陸の伝説〜』、HTB人間ビジョンスペシャル カム���・ミンタラ 神々の遊びの庭・阿寒』の音楽を制作した[86][87]。2000年代には高校時代から自身のファンであった今敏監督の作品音楽を担当し、映画『千年女優』や『パプリカ』、TVシリーズ『妄想代理人』の楽曲を手掛け、米国での第79回アカデミー賞のオリジナル歌曲部門のノミネート対象作品に『パプリカ』のエンディングテーマである「白虎野の娘」が選ばれている[48][45]。その他、三浦建太郎原作のアニメ『ベルセルク』シリーズの劇中歌や楽曲を制作している[88]

1992年、北海道テレビ放送(HTB)が年1回制作、放送していたドキュメンタリースペシャル番組の初回、「カムイ・ミンタラ 神々の遊びの庭・阿寒」の放送前の朝番組で音楽担当として生出演した。また、この時に使われた曲「カムイ・ミンタラ」は、同年発売されたアルバム「魂のふる里」に収録されている[89]

1994年にストーリー仕立ての観客参加型マルチメディア・コンサートとして「インタラクティブ・ライブ」を開始[41]。詳細は後述する。

また、1994年7月8日から翌年の1995年3月31日まで初の冠番組である『平沢進のテクノ実験工房』がFM群馬にて放送され[6]、平沢と共に上野洋子(元ZABADAK)がパーソナリティを務めた[90]

活動休止をしていたP-MODELについても、1991年にバンドの『解凍』を宣言し、『解凍』P-MODELとして期間限定で活動した後、一時的な休止期間を経て1994年に『改訂』P-MODELとして再び活動を再開する[6]。詳細はP-MODEL#来歴を参照。

1996年、改訂P-MODELメンバーがそれぞれソロに別れて活動を行うプロジェクト「Unfix」が開始。その一環であるオールナイト・イヴェント『Unfix #3 コミュノ・ハイブリディア』が同年11月に新宿リキッドルームにて開催された。平沢を含むP-MODELのメンバー4人がそれぞれソロステージを行うというものだったが、平沢は当日になり急遽欠席。翌年の1997年にアイスリープロモーションを退社し、個人事務所であるケイオス・ユニオンを設立[91]。この際に送付された新事務所、ファンクラブ発足告知によると、前年の欠席の理由は「殺人的なスケジュール」による平沢の心身の不調だったものと書かれており[92]、後に平沢はパニック障害を患っていた事を告白している [93]

1998年と1999年には声優の宮村優子のアルバム「」と「大四喜」に楽曲を提供、1999年には妄想ビームの番組内で対談を行った[94]

個人事務所設立後の活動

1999年、P-MODELはMP3を使用してインターネット上で新曲を配信すると発表した[95]。楽曲配信の弊害となる為、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BP社の協力により配信サイト「P-PLANT」を立ち上げた。 オンライン販売にはビットキャッシュ(株)の電子決算システム“BitCash”が利用された。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきたプロアーティストとして日本で初めての試みであった[96][97]。また、同年にはプログレッシブ・ロック・バンド、クラスタードイツ語版のメンバーであるレデリウスドイツ語版および小西健司(4-D・P-MODEL)と、ネット上でのやり取りだけでコラボレーションを行い、『Global Trotters』としてアルバム『Drive』をリリースする[6]

2000年12月、P-MODELが『培養』を宣言。平沢に活動再開の意思は無く、事実上の解散である[98]。同年には通算8枚目となるソロアルバム『賢者のプロペラ』をケイオスユニオンより発売。CD版とMP3版がそれぞれ制作・販売されており、アレンジが互いに異なっている[99]。本作以降は原則的にケイオスユニオンの自社直販での販売となる。

2001年7月2日、プロジェクト『Hirasawa Energy Works[100]がスタート。これは必要な電気エネルギーの全てを太陽発電に委ねて音楽製作を試みるプロジェクトであった。プロジェクト第一弾としてアルバム『SOLAR RAY』が製作される[101]。その後、太陽発電及びこのプロジェクトに賛同するファンの協力による自然からの蓄電(エナジーハンティング)のみを利用したライブ『SOLAR LIVE』[102]を敢行した。このプロジェクトはNHK BS2やTBSで特集された。翌年の2002年には『Hirasawa Energy Works』の第二弾として、P-MODELのほぼ全ての音源を網羅したボックスセット『太陽系亞種音[103]を発売。太陽発電を用いたスタジオである「Solar Studio(studio WIRE SELF 2002)」でリマスタリング[104]された。

2003年、イラク戦争に対する抗議の意思を表すべく『殺戮への抗議配信』と題し、自らの楽曲「高貴な城」「Love Song[2003年バージョン]」の無料配信を行った[105]。同年3月には坂田四郎名義でゆいこのシングル『陸の人よ』(アサヒビール『穣三昧』CMソング)の制作を手掛け[注釈 11]、10月にはNHKおかあさんといっしょ』内で放送される(2006年12月にも再度放送された)「地球ネコ」の作詞作曲をした[注釈 12][106]

2004年、P-MODELとは異なるものとして、『核P-MODEL』名義で活動を開始。同年10月に『ビストロン』発売後、断続的に活動を行う[107]。(詳細は核P-MODELのページを参照。)

2007年からは従来のインタラクティブ・ライブとは異なる「ノン・インタラクティブ・ライブ」[注釈 13]として『LIVE PHONON 2550』を開催。その後も継続的に開催している[108]

2008年6月、イタリアのデス・メタル系ヴォーカリストのリッカルド・ブレット(InhVmaN)との���作でマキシ・シングル『Tetragrammaton (テトラグラマトン)』をリリース[109][29]。同年12月出版の『ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使』にて冨田明宏を平沢の聞き手(インタビュアー)として『バーチャルな「女性への欲望とは何か」』が掲載[110]。自身の所有ソフトはLOLAMEIKOであり、「確率の丘(2006)」「白虎野の娘(2007)」ではLOLAを利用していると語る[111]。同年11月、タイ王国��第2の女性で平沢の友人らである23人のSP-2[112]との1994年からの交流から生まれたエピソードを彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集、『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を自社出版した[113]

2009年からTwitterアカウントを開設。利用開始当初から「このスキに二杯目のジンジャー・ティーを入れる。なんでこんなこと赤の他人に教えなきゃなんないんだ?[114]」「いまなにしてる?よけいなお世話だ[115]」といった挑発的なツイートを行っていたが、逆にそれにTwitter初期の利用者達に興味を持たれてしまいフォロワーが3280人まで増えてしまった[116]。「たいしたこと書いてないのに3280人とはどういうことだ?おい[117]」と呟いた後、同年より放送されたかきふらい原作のアニメ作品「けいおん!」に自身の名前が由来とされる主人公が登場していた事や[注釈 14]、「けいおん!公式ホームページ」にてP-MODELのデビュー曲名をリスペクトした物が「けいおん!ゆるふわスタッフブログ」にて掲載される等があり[注釈 15][118]、それによりフォロワー数が増えてしまっていると感じた為「間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。[119]」とツイ―トした所、更にフォロワー数が(1日で1万3180人まで)急増してしまう事となった[120][121][122]。この出来事が自身のTwitterの方向性を決める事に繋がったとしている[123]。毎週水曜日以外の連日、フォロワー及びファンとの交流として21時から22時までツイートを行うようになる[124]。同年12月、1999年より「音楽業界」から離れ、自主配信の音楽というビジネスモデルの礎を作った人物としてソロデビュー20周年記念インタビュー、『「私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」 本人に聞いてみた』が掲載[125]

また、その後にフォロワー数を減らしてみようと試みてフォロワーを馬の骨呼びするツイートをし続けるも、逆にフォロワーが増加した挙句Twitter上のファンの愛称として定着してしまい、オリジナルグッズ「馬の骨Tシャツ」を試しに限定販売してみたところ即完売した[126]

2011年、フォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景[注釈 16]を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』がUSTREAMにて不定期配信される。東日本大震災が発生した際に自宅が被災。自身は当時仕事上の関係でタイ王国に滞在していたが、同年の3月21日に被災された方々へ祈りを捧げる為にWat Raikching寺院に頼み、亡くなった方のご冥福と残った日本人の安全を祈願した寺院の僧侶達との映像をインターネット上で発信し届けた。同年の8月24日に発売した、「現代思想2011年9月臨時増刊号 総特集=緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ」に被災者への思い等を寄稿した[127]

2012年2月、1st~7thまでのオリジナルアルバムとシングルカップリング曲や発掘音源などを網羅したボックスセット『HALDYN DOME』発売。上述した「地球ネコ」も収録されており、平沢自身がボーカルを務めるリアレンジ版が収録されている[128]。2017年には『HALDYN DOME』のブックレットに掲載されている文章を朗読したものと楽曲を交えて構成された初のナレーション作品『第6フォルマント』を配信した[129]

2013年、インタラクティブライブ「ノモノスとイミューム」を開催。自身の元生徒でありプロデュースを行ったバンド「Shampoo」のメンバーの一人でもある、義足のアーティスト折茂昌美[130]がサンミアとして出演[131][132][133]

2014年、声優の上坂すみれのラジオ番組「すみぺ的 音楽談議◆黙示録」の放送1周年ゲストとして出演[134]。フォロワー数7万人突破記念として平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUSTREAMにて不定期配信される。

2017年4月2日、TVアニメ「ベルセルク」 のビジュアル・スペクタクル・イベント 「蝕2017 ~生贄たちの宴~」に岩永洋昭下野紘ら声優陣と共に参加し、ライブの回にて担当劇中歌「灰よ」をレーザーハープでの演奏と共に披露した[135]。また、サイバーパンクゲームRUINER(ルイナー)』に楽曲提供を依頼され、ポリドール時代の楽曲「トビラ島」等がゲーム内にて使用される[136][137]

同年には三島由紀夫の小説「美しい星」の実写映画に1stソロアルバム「時空の水(1989年)」より「金星」を提供し、映画監督である吉田大八と「CDジャーナル 2017年5月号」にて対談[138]。10月にはTwitterフォロワーが9万人を超した事から、溶接マスクを付けた正体不明の二人組「黒会人」と、P-MODELメンバーの一人であったドラマーの上領亘を迎えライブ『第9曼荼羅』を開催[139]

同年、「娘が高校でバンドをやっているだと?いったいどこでそんなガセねた仕入れてきたのでしょうか?私に娘はございません。 (あ、平沢唯の事?)」とTwitter上で語る[140]

2018年12月17日に「インターネットのパイオニア、核p-model・平沢進インタビュー」が掲載[141]

2019年2月13日にゲンロンカフェにて2000年からの付き合いである精神科医の斎藤環と共に対談配信を行い、配信後に無期限アーカイブとして有料レンタル公開がされる[142]。7月28日には、ペストマスクを装着した正体不明の二人組「白会人」とのユニット『平沢進+会人(EJIN)』としてフジロックフェスティバル'19に出演[143][144]。平沢はこのユニットを『会然TREK(エシカル・トレック)』と命名し、以降、同ユニットで約一年間活動する[145] [146]

2020年、盟友である今敏の10年忌として発売された、ユリイカ 2020年8月号「特集=今敏の世界 -『PERFECT BLUE』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』……その先の10年12月」にインタビューを寄稿[147]。同年12月つくば市のヴィーガンラーメン屋専門店「KENJUキッチン[148]」の店主との対談を行い、平沢の実兄である平沢You1のYoutubeチャンネルにて無料公開された[149][150]

同年に発売された元P-MODELメンバーの福間創の5年ぶりのフルアルバム『this is our music』に同じく元メンバーの小西健司と共にゲスト参加[151]

2021年には再び会人とサポートドラムにユージ・レルレ・カワグチを迎え、『平沢進+会人(EJIN)』名義でライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催[152]。また、同名義及び同メンバーでフジロックフェスティバル'21のWHITE STAGEに出演[153][154][155]、並びYoutube上にて生中継され最高同時接続数が11万人を超える[156][157][158]

同年7月14日に発売された『FILTER Volume.01』創刊号に、P-MODELメンバーだった福間創、小西健司との鼎談「シンセサイザーの制御と表現」並びに表紙アーティストとして掲載[159]。7月28日に発売された6年ぶりのソロアルバム「BEACON」が9月7日、日本経済新聞に掲載[160]

また、集英社「kotoba」2021年秋号の特集「人間拡張ネオ・ヒューマンを生むか?」に富野由悠季稲見昌彦などと共にインタビューが掲載[161][162]。 そして9月10日から23日まで東京・サンシャインシティにて開催される「大ベルセルク展~三浦建太郎 画業32年の軌跡~」に向け、ヤングアニマル公式YouTubeチャンネルにてメッセージ動画が公開された[163]

音楽性

ここでは、主にソロについて記述する。マンドレイクP-MODELについては各項を参照。

楽曲

ソロ作品のほとんどはコンセプト・アルバムである。特に1994年からインタラクティブ・ライブを開始して以降はその傾向が強まり、7th『救済の技法』ではインタラクティブ・ライブ『WORLD CELL』のストーリーに沿ってアルバムが制作されている。ただし11th『点呼する惑星』では最初からアルバム中でストーリーが組まれ、それを解体、再構築する形でインタラクティブ・ライブのストーリーが作られている。

P-MODEL時代の音楽性の変遷と同等、あるいはそれ以上に、P-MODELからソロへの移行はかなり異質なものへの転換が意図されていた。その変化の大きさは、ソロ活動初期に寄せられた「こんな平沢に誰がした」という反応に大きく現れている[164]。これに対し平沢は、「結果それでこそヒラサワ、あるいは完全に裏切られたという反応を期待しており、それなりに成功したおかげで今日までソロ活動を続けることができた」と述懐している[165]

P-MODELとの主な差別化はストリングス・セクションの大々的な導入と、アコースティック・ギターの使用と述べている。ストリングスの音についてはメロトロンのような本人いわく暗い音を好んでおり[57]、現在はEast West社のHollywood Stringsを使用している[166]。12th『現象の花の秘密』ではこの音源を大々的にフィーチャーしている。かつてはソロでシャウトを使わないという制約も設けていたが、11th『点呼する惑星』の「Mirror Gate」で解禁した[167]

バンドにおける制約を排したなんでもありの音楽性が意識されている。また、ソロのための習作として、マンドレイクの楽曲『飾り窓の出来事』のリメイクが行われていることからも分かる通り、長らく離れていたプログレにも接近している。このことから、中野泰博は平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している[168]

「All Performed by SUSUMU HIRASAWA」とクレジットされている通り、ソロ活動では一貫して独力での楽曲制作が意識されている。ソロ活動へ移行する決定打はKORGM1シンセサイザーの登場であった。M1の登場により、家で打ち込み、スタジオでは足りない部分と歌の録音、というレコーディングスタイルが実現し、ほぼ独力で楽曲制作が可能となった。4th『AURORA』以降はゲストミュージシャンすら排し、AMIGA用シーケンサBars&Pipesを用いた完全な独力での楽曲制作へと移行する[169]。以降は打ち込みのアンサンブル+声+ギターという構成がソロ作品、及び後の核P-MODELの決定的な特徴となる。

5thは当初90年代版ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon』を意識したコンセプト・アルバムを制作する予定だったが、その途中でタイへと渡航し、そこで出会ったSP-2の影響を 受け作風が大幅に変化した。同時期に活動を再開したP-MODELでの活動においても平沢ソロとの融合が図られ、民族音楽とテクノポップを融合したアジアン・テクノを打ち出した。

平沢の独特なヨーデルのような唱法を質問された際、「江戸時代の消防士である火消しが歌う、木遣りというものなんですけど、そこからアイデアを得たんです。」と答えている[170]

曲作りについて、以下のように話している。

「わたしは世の中で一番好きな音楽が『君が代』なんですけども。ああいう、先に日本語のノリがあった上で成立する音楽は素晴らしい。それはもうリズム・パターンにも影響してきますね。そういう意味で昭和初期の歌謡曲なんかほんとに歌詞の乗せ方からなにからお見事と言うしか言いようがない。」


『卓上のウロボロス』P.20 より

14thソロアルバム「BEACON」収録曲『TimeLineの終わり』に『静かの海』と『Timelineの東』の邂逅が見られ、伝統音楽からの影響を質問された際に、「P-MODELの中期、後期では西洋的なモダンな質感、感触を取り入れたいと言う考えと、当時すでに欧米ロックへの関心が薄れ、しかし国内に共感できるニュアンスもなく、かと言って伝統的な旋律をいじる動機も必然性もなく、西洋にルーツを見れないポップミュージックの姿を模索して作っていました。今の自分の言葉で表すと、”来なかった日本の近未来”です。」と答え、「伝統文化の形状を真似たり流用するのではなく、伝統のコアを採用して現在の平沢が創作するとどうなるかという物です。つまり伝統音楽に影響を受けて言えるし、言えないとも言えます。」としている[171]

アジアン・テクノ路線も2000年の『賢者のプロペラ』以降は収束し、以降はアメリカ同時多発テロ事件イラク戦争への疑問から、初期P-MODEL以降距離をとっていたディストピア的な世界観を前面に押し出たメッセージ性の強い楽曲を多く発表するようになる。還弦主義8760時間における過去曲の弦楽的アレンジ作品のリリース、Hollywood Stringsを導入したアルバムの制作(『現象の花の秘密』)など弦楽的なアプローチを強める一方、核P-MODEL『回=回』やフジロック・フェスティバル2019での演奏からはサーフサウンドのスタイルも見て取れ、平沢ソロと核P-MODELとの融合が感じられる。

平沢は2000年からの付き合いである精神科医斎藤環とのゲンロンカフェでの対談にて、「自分が意図している訳ではないが、先駆者と同じ方法とは違う角度で音楽を行うのが彼らへの敬意だと考えている」としており、新たな領域への挑戦をしているアーティスト及び人々に対する好奇心も強い。

ボーカルエンジン(ボーカロイド)を早期から利用しており、所有しているソフトはLOLAMEIKOで用途によって使い分けられている。女性音源として「確率の丘(2005)」「白虎野の娘(2006)」ではLOLAを使用している。所有ボーカロイドに対しキャラクター性は求めておらず、あくまでも楽器の一つとして利用しているとしている[111]

平沢進から強い影響を受けていると語るミュージシャンの米津玄師は、7th『救済の技法』に収録されている楽曲「Mother」を「本当に聴いた事ないような新しい音楽なんだけども、どこかに懐かしさ、郷愁感(ノスタルジア)を宿している。そこには何か普遍的な何かがあると思った。」、「ものすごいバランス感覚で成り立っている音楽だなと。自分の音楽でもバランス感覚を大事にしようと、この時に初めて思えた。」と、音楽活動を開始する18歳の前頃に初めて試聴した当時の心境と共に評している[172]

歌詞

80年代、平沢が精神的に不安定だった時期にユング心理学に傾倒するようになる[173]。以後、作品の中に錬金術神話的仏教的用語が使われていること[174]や、平沢作品のテーマである「全き人格の回復[175]」などユング心理学(及び河合隼雄エーリッヒ・ノイマンの著書)の影響が強くなっていく[176]

自身のBSP配信内にて、「自分の楽曲の歌詞が難解だと一部の方から思われているのは、その方が所謂、小説を読むような捉え方をされているからです。自分の楽曲の歌詞には全て意味があり、音楽で以外でこれらが表現出来るのであれば音楽を長年やっておりません。」と語っている[177]

平沢進から自身の表現スタイルに強い影響を受けていると語った、劇中歌でのタッグを組んだアニメーション監督の今敏は、平沢進の世界観を敢えて単純化すると「相反するものの同居」と評しており、「たとえば平沢さんの歌詞によく現れてくるのは「神話科学」というモチーフです。テクノロジー全盛の近現代において、非科学的であると断罪される神話とテクノロジーが平然と同居しながら、両者がバランスしている。」、「あるいはまた、こんなイメージすら感じることもあります。『澄み渡った気持ちの良い青空の下、瀕死の子供たちが笑っている。』という物。」と米国インタビューにて語っている[178][179]

歌詞作りにおいては宮沢賢治の作品が大きく影響しており、平沢の歌詞の特徴である「専門用語の多様」「言葉が描き出す世界観」など宮沢賢治の作品の構成と類似する点が多く存在する[142]。マンドレイク時代に平沢が歌詞作りに困っていた際、じょうじマョンのボーカリストから「ぜひとも、宮沢賢治を参考にしろ。」と言う助言を受けた事がきっかけである[142]宮沢賢治の影響について平沢は次のように語っている。

「 一般的にはヒューマニズムの人というイメージがあるかもしれませんが、宮沢賢治の作風ってすごくテクノですよ。SFやマッド・サイエンティストが入ってるし、科学と自然を統合したような面がある。普通は叙情的、情緒的に表現するものを、たとえば金属だのフィラメントだので表現したりする。そのへんの感覚は『オーロラ』や『サイエンスの幽霊』あたりでボキャブラリを似せて作ってあります。」


『卓上のウロボロス』P.36 魂のふるさと 第二章 家族 より
「ヒラサワの全アルバムを15秒で包括する方法:宮沢賢治を3行も読めばいい。」


Twitter @hirasawa 2014年06月30日

ライブパフォーマンス

ライブ活動においても当初はサポートミュージシャンを迎え、バンド編成でライブを行っていた。メンバーは非常に流動的であり、元P-MODELメンバーである秋山勝彦ことぶき光の他、戸川純砂原良徳秋元きつね上領亘らが在籍していた。

1990年の『世界タービン・ツアー』最終公演では『オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ナース[注釈 17]』と名付けられた看護婦姿のオーケストラ隊が登場。サポートミュージシャンとオーケストラ隊による大編成でのライブも行ったが、1992年に行われたライブ『Hi-Res』ではコンピューターの同期を用いて完全に一人で演奏を行った。これが起点となり、1995年以降は基本的に平沢のみでライブを行うようになる。

元々、平沢は生演奏におけるミュージシャン固有のニュアンスを排したかったと述べており、楽曲制作及びライブにおけるこのスタイルは当然の帰結と言える。以降はP-MODELの再結成やソロ活動初期のようなバンド形式での活動には後ろ向きの態度をとるようになり、2004年に活動を開始した核P-MODELも、基本的には平沢のソロプロジェクトである。

一方で、2012年のライブ『PHONON2555』にPEVO1号や元P-MODELメンバーの荒木康弘がサポートメンバーとして参加して以降は、サポートパフォーマーとしてゲストを迎えることも増え、バンド形式での活動も再び増加している。

2017年以降は正体不明の「会人(EJIN)」がサポートメンバーとして出演しており[180]、2017年の『第9曼荼羅』東京公演では元P-MODELメンバーの上領亘をドラムに迎え、2019年の『戦法STS』、2020年の『会然TREK2K20▲03』、2021年の『24曼荼羅』ではユージ・レルレ・カワグチ(DEARIVETH)をドラムに迎えて四人編成でのライブが行われた[181] [182]

インタラクティブ・ライブの考案

インタラクティブ・ライブ(以下インタラ)は、平沢が1994年に開始したパフォーマンスの形態である[41]。通常ミュージシャンの行うライブでは、ミュージシャンが事前に設定した曲目を順に披露していくことになる。一方インタラでは、ライブ自体にストーリーを付加し、その展開に合わせて曲目が設定される[183]。さらにその展開は、会場に仕掛けられた様々なインターフェースによって観客の行動をライブの進行に反映させることで変化する仕組みになっている[184]。すなわち、演者と観客の双方向性を重視したパフォーマンスとなっている。また1998年以降は、インターネットを通じて現地の様子を生配信し、併せて特設サイトに提示された課題を解くことで、会場に足を運ばなかったリスナーも在宅オーディエンスとしてライブの進行に影響を及ぼせるという仕組みも導入された[41]

このようなパフォーマンス形態を取るに至った理由を、「打ち込みの音源に合わせて生身の人間が演奏すること以外の、『ライブをやる必然性』を探るため」「インターネットをパフォーマンスに組み入れるため」としている[185]

こうした試みが評価され、2001年には『インタラクティブ・ライブ・ショウ 2000 賢者のプロペラ』が、(財)デジタルコンテンツ協会と経済産業省の共催するデジタルコンテンツグランプリ2001において、「作品表彰の部」の経済産業大臣賞、並びにエンターテイメント部門最優秀賞を受賞している[44][48]

人物

タイ王国への関心

5thアルバム製作中に、事務所の人間に無理矢理連れて行かれた先のタイ王国で文化的な衝撃を受け[注釈 18]、作風にも大きな変化が表れている。1995年頃からタイのサオプラペーッソン[注釈 19]に深い関心を示し、繰り返し現地を訪れている[186][187]。以降、彼女たちには、レコーディング時にコーラスとして協力を仰いだり、ライブアクトとして招聘するなどしたことがある[188][189][190]。2004年には、平沢と親交が深かった9人のサオプラペーッソンが相次いで亡くなったことを受け、彼女たちを追悼するアルバム『SWITCHED-ON LOTUS』が製作された[191]。サオプラペーッソンの存在そのものが、創作意欲に大きな影響を及ぼしていると本人は語っており、彼女たちに対して大きな尊敬を以て接していることがその言動から見て取れる。

また、1994年から1998年、2000年、2007年にはファンクラブ旅行『万国点検隊』を開催[192]。主にタイ王国を舞台とし、インタラクティブライブで行われるようなゲームが展開された[193]。1995年、1997年にはインタラクティブライブやアルバムの物語の続編として行われた。2000年以降のタイ王国での開催ライブの収益は現地の児童支援団体に寄付している。

2008年11月、タイ王国第2の女性で平沢の友人らである23人のSP-2[112]との1994年からの交流から生まれたエピソードを、彼女たちの写真と共に綴ったエッセイ集『SP-2: タイのニューハーフ? いいえ「第2の女性」です』を自社出版した[113]

2011年3月11日、タイ王国滞在中に東日本大震災が発生。3月21日に被災された方々へ祈りを捧げる為に現地のWat Raikching寺院に頼み、亡くなった方のご冥福と日本人の安全を祈願した寺院の僧侶達の映像をインターネット上で発信し届けた[194]

インターネット台頭以降の活動

先述のインタラクティブ・ライブは、インターネットの普及を予見した平沢が、その可能性に反応して作り出したパフォーマンス形態である。

80年代からインターネットの可能性を見出していた事を「インターネットのパイオニア、核P-MODEL・平沢進インタビュー」にても語っており、「1980年代の終わり頃からデジタル技術が著しく発達し、ミュージシャンが「個人」でできる範囲もどんどん広がっていきました。その頃から、音楽制作から流通に至るまでのプロセスにおける最後の部分、つまり「情報発信」とダウンロードを含めた「流通」の部分が、インターネットによって完全に網羅されると思ったんです。」、「当時のP-MODELのような、デジタルで音楽を形にしていくアーティストにとって、「ライブをやることの必然性」というのが実はあまりないんですよ。もちろん、打ち込まれた音源を大勢の人の前で鳴らし、それに合わせて生身の人間がパフォーマンスをすることには意義があると思います。ですが、それとはまったく違う形で、デジタル系のアーティストが「ライブをやることの必然性」を探りたかったんです。それと、せっかく手中に収めたインターネットというメディアを、自分の音楽のなかにどう取り込んでいくか? というある種の実験の意味もありました。」、「たとえばレコーディングスタジオでの作業がパソコン1台でできるようになり、それまで資本がなければ動かせなかったメディアや流通機構を自分の手中に収めることができる。そういった感触を得ることができたため、インターネットを早い段階から積極的に取り入れることにしました。」などとインタビュー内で語っている[195]

1994年から活動再開した改訂P-MODELでは、インターネットをキーワードとしており、P-MODELのオフィシャルサイトではライブツアーやレコーディングの模様をMPEGファイルとして配信、各メンバーが個人ホームページを開設しリスナーとの直接なやり取りが行われた[注釈 20]。平沢も個人ホームページ『Ghost Web』を開設した[196]

P-MODEL結成30周年、およびソロ活動20周年にあたる2009年には『凝集する過去 還弦主義8760時間』というプロジェクトを開始[197]し、特設サイトではイントロダクションとして平沢による語りと今までのライブ音源やライブ画像、フライヤーが視聴、閲覧が可能であった。また、P-MODELと平沢ソロの楽曲をそれぞれストリングスアレンジしたアルバム『突弦変異』、『変弦自在』をリリース。

このイベントの一環として本人による公式Twitterのアカウントを開設。進捗状況の報告を行い[198]、いくつかの発言がインターネット上で話題となった[199][200]。スケジュールの都合により発売記念ライブは行わない予定であったが、Twitterのフォロワー3万人を突破した事により翌年に『東京異次弦空洞』が開催された[201]。本来ならばTwitterアカウントはイベント終了後に削除する方針が示されていたが、ライブ『東京異次弦空洞』にてイベント終了後も運用を続行する旨が発表された。

2012年6月にはニコニコ生放送に出演。約88000人もの来場者数を動員した[202]。ファンのリクエストに答えて同年11月23日にもニコニコ生放送に出演し[203]、こちらも約70000人が来場した[204]

以降はTwitterのフォロワー数に応じてインターネット上にて各種イベントを開催しており、2011年にはフォロワー数5万人突破記念として平沢の作業風景[注釈 16]を合計5万秒配信する『Hirasawa監視50000秒』、2014年にはフォロワー数7万人突破記念として平沢が合計7万歩散歩をする『HIRASAWA追跡70000歩』がUSTREAMにて不定期配信された。2021年現在はアーカイブが公式Youtubeチャンネルで閲覧が可能となっている。

2017年にはTwitterフォロワー数が9万人を突破したことを記念し、5公演内でスネアドラムを合計9万打目指すライブ『第9曼荼羅』が開催された[180]。なお、ゲストドラマーとして会人:鶴(TAZZ)または上領亘が参加した。その後、全公演通してのスネアドラムの打数が9万回を達成したことを記念して、音源「第9曼荼羅」が配信された[205]。また、2021年にはフォロワー数24万人を突破したことによりライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催した[206]。なお、24曼荼羅ではドラムスにユージ・レルレ・カワグチが参加した[152]

2019年9月からは、フォロワー17万人通過記念イベントとして『170帰路の1分間』を開始[207]。特設サイトに設置された地図と、ハッシュタグ「#平沢進170帰路の1分間」に投稿されたヒントを手がかりに正しいページへたどり着くことで、およそ1分間の動画を閲覧することができるという内容となっている。『黄金の10年周期[208]』にまつわる長期的なイベントであることが示唆されている[209][210]

MP3音源の活用

パソコン黎明期から音源のMP3に対して関心を持ち、1999年にソロ10周年・P-MODEL20周年記念として行われたプロジェクト『音楽産業廃棄物 P-MODEL OR DIE』において、P-MODELメンバーがMP3を用いて各自宅のみで楽曲を制作。インターネット上で公開ミックスダウンも行われた。MP3でファンがP-MODEL楽曲をリミックスするイベントも開催された。日経BPの協力によりP-MODELの音楽配信サイト『P-PLANT』を開設し、アルバム『音楽産業廃棄物』や『VIRTUAL LIVE』シリーズが配信された[96]

その後、MP3ファイルについては公式ウェブサイト内において未CD化曲の販売を行っており、また、ニューアルバムをリリースする度に収録曲の中から一曲またはアウトテイク数曲を無料配信している。2011年3月にはフリージャーナリスト・市民メディア向けに楽曲を無料配信を行った[211]。同年6月24日にはパレード・パンクの期間労働者・ステルスマンなる人物にオフィシャルサイトを占拠され、楽曲「原子力」(P-MODELの「BOAT」を編曲・歌詞を改変したもの)を無料配信させられる[212]。後に平沢はステルスマンから奪ったカラオケ音源をオフィシャルサイトで無料配信した[213]

MP3をインターネットそのもの含めて「表現者としてリスナーとコミュニケーションを取る新しい枠組み[95]」と評価する一方、サブスクリプションサービスにおいては「然るべき努力を積み重ねてきた人たちが作った楽曲と、『できちゃったからアップしてみた』みたいな人の楽曲が、同じ土俵に上がっているのは問題といえば問題」とも語る[185]

著作権管理団体および大手レーベルからの撤退

それまで権利関係に疎かった平沢は、自分の楽曲の著作権が出版会社に永久譲渡という形で契約されていることを知る[いつ?][214]。出版会社は、日本音楽著作権協会(JASRAC)から分配された楽曲使用料(印税)のうち50%を控除し、残額をアーティストに分配していたことから、その出版会社が控除した楽曲使用料がどのように運用されるのか、平沢は説明を求めた。しかし、出版会社からは「プロモーションに努める」という回答しか得られず、どのようなプロモーションを行い、どれだけの対費用効果があるのか、平沢が納得できるだけの具体的な回答が無かった。出版会社の変更もレコード会社との関係で困難であったことから、「なぜ私の権利が私の選んだ出版会社と契約できないんですかと、一回ゴネたことある」と述べている[214]

その後、1999年にはP-MODELのアルバム『音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE』をMP3で配信することを発表し、それに伴う大手レーベルからの撤退を発表する[95]。以降は著作権管理団体をイーライセンスに切り替えているが、P-MODELとして活動した初期の楽曲については権利の奪還が不可能であり、2010年に平沢が発売した『突弦変異』の収録曲の一部は、P-MODEL時代のセルフカバーであるにも関わらずJASRACに著作権料を支払ったことを明かしている[215]

書籍『音楽産業廃棄物』に同封されているインタビュー(1999年)では、「メジャーレーベルが売りたいと思える曲でなければ世に出せない現状だが、インターネットなら際限がなく音楽を発信でき、その音楽を聴きたい人に直接届ける事が出来る。遠くない未来に、このようなアーティストが台頭していくでしょう。」と語っている。また、「音楽で大儲けしたいのではなく、音楽で生活が成り立てば自分はいい。メジャーレーベルならば儲ける事を強要されるが、インターネットでならリスナーとアーティストで作品を直接提供でき、どれほどお金が必要かは自分で決めれる。」と話している。

1999年に、P-MODELがMP3による新曲配信をMP3にて行っていくとしてメンバーの小西健司と福間創らと共に記者会見を開いた際には、「インターネットの発達と、音楽圧縮技術の発達により、ミュージシャン自身がリスナーに対して音楽を発信できるようになった。しかし、プロのアーティストはレコード会社との関係上、MP3形式による音楽配信は難しかった。我々はメジャーから外されても自分たちの活動は変わらない自信があるし、曲を直接リスナーに届けたいという気持ちから、メジャーからの契約を打ち切って音楽配信に踏み込んだ。MP3形式のデータを聴けないユーザーにもCDのパッケージ販売も続けていく」と答え、「今後は、レコード会社に所属しないミュージシャンが増加するだろう。ミュージシャンの自立を怖がるレコード会社もあると思う。しかし、MP3形式によるデータ配信は在庫管理などの面から見ても人員削減以外によるリストラが可能になるなどマイナス面ばかりではないだろう」と語った[216]

2001年1月8日のNEWS23の「特集 音楽配信の未来は」にて取材を受けた際には、「日本全国のレコードショップなどで音楽を届ける手段、これらがインターネットの到来で僕ら自身が出来るようになってきたんです。つまり、もうレコード会社に居る必要はないんです。」と答えている。集金システムとの契約や音楽配信サイトの立ち上げ等は自身で可能な限りは全て自分一人で自社で行っていると語った。また、番組内でNapster等によるインターネット上での音楽の拡散問題が取り上げられた際には、「インターネットの中で不法コピーされる事をどう解釈するかによるんですね。インターネットという物は、無名なアーティストにとって非常に有利な”武器”になるんです。それで不法コピーされて広がったとして、プロモーションとして受け止められるのであればそれでいい。」とインターネットの肯定派の立場として取り上げられた[217]

BSP配信では、「音楽というのは、その人の感受性が出来るに至る履歴も含めて、初めて良いか悪いか判断できるようなバックボーンが出来たうえで反応する物です。」と答えており、有線回線などを通して他者に無理に聴かせる等、自然に音楽に出会う機会を無くす事を否定している[218]

現在、2000年初頭より平沢の新作CDについて販売方法は平沢本人が代表取締役社長を務める所属事務所の直売サイト、「TESLAKITE ONLINE SHOP 」によるインターネット通販が中心となっており、銀行振込以外は電子決済PayPalの支払いのみな為国外ファンも直接購入可能である。店頭在庫が存在する店舗はタワーレコードHMVの様な大都市部などのインディーズレーベルを大々的に扱っているCDショップに限られている。2000年発売の『賢者のプロペラ』以前の作品もボックスセット『HALDYN DOME』と『太陽系亞種音』の発売により、ほぼ全ての既発表音源がオフィシャル通販で購入可能となった。2021年にリリースしたアルバム「BEACON」と、核P-MODEL名義のアルバム「回=回」はBandcampにてアルバムダウンロード販売が開始された[219][220]

また、版権がポリドールユニバーサルミュージック)、日本コロムビアにあるオリジナル・アルバムについては2021年現在オリジナル・アルバムが2社から全て再販されており、iTunes Store等音楽配信サイトにてAACファイルの形で入手することが可能となっている。

音楽業界及びJASRACの著作権管理体制については厳しく批判している反面、リスナーによる二次利用については「資本主義と相容れない音楽の性質」として基本的には黙認している[221]

エネルギー問題への関心

上述の通り、『Hirasawa Energy Works』では太陽光発電を取り入れ、自然エネルギーへ関心を寄せている。プロジェクト開始時は、120Wのソーラーパネル2枚のみをやぐら型のタワーに取り付け、残りの2枚は窓際に立てかけている状態であったが、後に4枚全てをタワーへ設置した。自宅スタジオの稼働を開始した初期はハードウェア・シンセサイザーやミキシング・コンソールを使用していたことで、電力使用に多大な制約が生まれていたが、後に全面ソフトウェア・シンセサイザー環境へ変更し、大幅な消費電力削減が図られた[222][223]

なお、studio WIRESELF自体は幾度の移転を経ており、2013年から稼働されている現行のスタジオは一般的な住宅用太陽光発電システムが搭載されているため、レコーディングに用いるための蓄電設備は用意されていない[224]

また、エネルギー問題への意識に目覚めてからは、それまで所有していたシトロエン・エグザンティアインターネットオークションで売却し[225]トヨタ自動車プリウスを購入[226]。その後、2020年からは水素自動車であるトヨタ・MIRAIを所有している。

また、近場であれば自転車での移動を行い、用途によって通常のアップライト自転車とリカンベント(米Burley社のLimbo[227])を併用している。リカンベントは『RIDE THE BLUE LIMBO』のPVや、インタラクティブ・ライブ『LIMBO-54』などの作品で搭乗している。

使用機材

ギター

マンドレイク時代にはグレコのレスポール・ゴールドトップを使用しており、現在もギブソン・レスポール[注釈 21]を一本所持している[228][229]

P-MODELのデビュー当初はH.S.Anderson製エクスプローラー型ギターのヘッドを削り、ボディを黄色に塗り替えて使用していた。後にこのギターはザ・グルーヴァーズに譲ったと語っている[230]。1980年頃からは黄色から青色に塗り替えたFernandes VK-7を使用[57]デヴィッド・ボウイのサインがボディー裏側に書かれていた[230][231]が、このギターはその後行方不明となっている[232]

1982年頃にはメーカー不明のランダムスター型ギターを使用していたが、本人曰く「それ以外は殆ど記憶にないギター」[233]。映像として残っている物は1982年発表の『フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ』のPVのみである。また、1981~83年ごろまでフリクションのレックから借りた黒のムスタングを使用していたこともあった。

1983年以降は東海楽器製造が製造・販売を行うアルミニウム製ギター「Talbo」を使用[57]。発売直後から、その素材やデザインの特異性に惹かれ使用を続けていた[234]。しかし、長年の使用による消耗から補修を要した際、製造元の東海楽器が経営悪化による影響からTalboの生産を打ち切っており、1994年にTalboと同シェイプのフェルナンデス製木製ギター「PHOTON」を特注にて製作し、再び使用を開始[233]。その後、2014年に改修された際に「PHOTON」は「PHOTON(光子(こうし))」へ改称している[235][236]。また、2012年にはゴールドカラーのTalboがTALBO Secret FACTORYにおいて補修・改造を施され、「TALBO-ASTRO」として登場している。

2004年からはTALBO Secret FACTORYが企画し、東海楽器が制作したオリジナルTalboである「ICE-9」を所有[237]。メインのステージギターとして用いられ、2005年にはICE-9に触発されたギターアルバム『ICE-9』が発売されている[238]。2021年にはTALBO Secret FACTORYからTalbo「ICE-9」のシグネチャーモデルが数量限定で販売された[239]

2013年以降は新たなメインギターとして、HISASHIとTALBO Secret FACTORYの共同で制作されたギター「EVO」の平沢モデルである「0101Z」を使用[240]。通常仕様のものに加えてシングルコイルピックアップを搭載した独自仕様の2本を使い分けている[241]。その後、2018年に新たなEVOとして「EVO-PHYTO ELECTRON」を制作[注釈 22]。2020年現在はメインギターとしてライブで使用されている[242]

その他、2009年には新たにモズライトギターを導入し、アルバム『点呼する惑星』収録曲「可視海」にて使用されている[243]。このモズライトはその後「Mosrite PHYTOELECTRON」として新たに塗装・改造を施されている[244][245]。2018年には新たに「Backlund400」を購入[246]。核P-MODELのアルバム『回=回』の制作、およびライブ『回=回』で使用された[247]

2017年にはメインのアコースティックギターとしてGodin Grand Concert Duet Ambianceを購入[248]。同年に行われたライブ『第9曼荼羅』で初披露された。

MIDIトリガー

1992年以降はカシオ・FZ-1を、パイプオルガンのパイプのように並んだチューブ管を介して鍵盤を操作する用に改造した、MIDIトリガー「チューブラHz(ヘルツ)」を用いていた[57]。2001年開催の『LIVE SOLAR RAY』以降は節電のため、改造した自転車の車輪(ハブダイナモ発電装置)を用い、その電気で作動させたMIDIトリガーのスイッチを押すことで出音する楽器『グラヴィトン』を使用していた[57]

2008年のライブ『PHONON2551』からは楽器としてテスラコイル[249]を、2009年のインタラクティブ・ライブ『点呼する惑星』からは発光ダイオードの光を遮ることでMIDIを操作するレーザーハープを使用している[250]。2017年のライブ『第9曼荼羅』以降は、Novation社製MIDIコントローラのLaunchpadを用いたパフォーマンスを、サポートメンバーの会人に行わせている[251]

また、ヤマハ・Miburiの使用者でもあった[252]。このMiburiは専用トリガーが専用着衣の中に内蔵されており、それを着た人間の動きによってシンセサイザーが演奏できると言うシステムである[253]。1995年に行われたライブ『INTERACTIVE LIVE SHOW 1995「SIM CITY」』、『ENDING ERROR』や2001年に行われたライブ『LIVE SOLAR RAY』でMiburiの演奏をしており、同名のライブDVDで演奏している姿が確認できる[254]

レコーディング機材

P-MODEL時代から自宅録音で製作された作品が多数あり、『賢者のプロペラ』以降のアルバムについては全て自宅スタジオのstudio WIRESELFで録音されている[255]

1987年にはCG制作のために導入したAmiga[256]での楽曲制作を開始。1990年代初頭から『白虎野』まではAmiga用ソフトの「Bars'n Pipes」などで制作した音源をレコーディングなどにも流用し[222][57][257]、2003年までのインタラクティブ・ライブは映像オペレーティングもAmigaで駆動されていた[258]。また、この縁から2005年発表の「AmigaOS 4.0」で起動音を手掛けている[222]。なお、Amigaは「今やAmigaを維持するのはクラシックカーを維持するようなもので、コストがかかる」として、現在は全てMicrosoft Windows環境に移行している[57]

2003年の『BLUE LIMBO』以降導入したケークウォークのDAW「SONAR」を中心に[57]、フリーソフトウェア・シンセサイザー「Synth1」や[57]、EASTWEST製「Hollywood Strings」が主な音源となる[222][166]。2017年、Cakewalk製品の生産終了を機に使用DAWをSONARからStudio Oneに乗り換えた。

アルバム『白虎野』収録曲である「白虎野の娘」と「確率の丘」には「アマチュアでも使っているごく普通の廉価なヴォーカルエンジン」を使用していることを公式サイトで明らかにし、具体的にはLOLAであると明らかにした[259]。また、平沢はこのヴォーカルエンジンを「お姉さん」と呼んでいるという噂があったが、これも同誌の中で本人が否定した。ただし、平沢はヴォーカルエンジンのことを「お姉さんは磨けばプロになる。」と表現している[260]

この他、合成音声に関してはAmigaOSに付属するスピーチ・シンセサイザーの「Sayコマンド」を1988年頃から用い、ライブの出囃子、CG年賀状、またはP-MODELの楽曲「WIRE SELF」「ERROR OF UNIVERSE」、平沢の楽曲「QUIT」「UNDOをどうぞ」などで確認する事ができる[261]

キーボード・シンセサイザー

先述の通り、ソロ活動初期はKORG M1を中心に使用していた。90年代のP-MODELやソロ活動において、DAWに完全移行するまでアナログ・シンセサイザーがレコーディングで使用されており、1999年当時はRoland JD800E-MU Proteusなどを使用していた[262]。 また、「KORG TRITON」「KORG 800DV��「Roland SH-3」を名器・革新的と評価している。

作品

プロモーションビデオ

  • 世界タービン(1990年)
  • LOVE SONG(1993年)
  • SIREN〜セイレーン(1996年)
  • 不幸はいかが?「不幸 其の壱」(1996年)
  • BERSERK ~Forces~(1997年)
  • TOWN-0 PHASE-5(1998年)
  • 賢者のプロペラ-I(2000年)
  • ロタティオン(LOTUS-2)(2001年)
  • RIDE THE BLUE LIMBO(2003年)
  • 白虎野の娘(2006年)
  • TIMELINEの終わり(2021年)
  • COLD SONG(2021年)

参加作品

提供・プロデュース

  • 恐るべき頭脳集団 - 「いりよう蜂の誘惑」
  • パワーホール(長州力の入場曲) ※異母犯抄名義で作曲
  • ハリケーンズ・バム(カルガリーハリケーンズのテーマ曲) ※福来良夫名義で作曲
  • Xボンバー - 「ラミアとシロー(愛のテーマ、ラミアのテーマ)」、「謎の宇宙船」
  • オムニバス盤「les enfants 2」 - 「トゥーリスタ」
  • 横川理彦/横川タダヒコ- 「トラック・ラグーン」、「CALL」
  • 島崎和歌子 - ポリドールが企画したクリスマスをテーマにしたオムニバスアルバム『White Album'90』(1990年11月10日)に、“平沢進with島崎和歌子”名義で参加。7曲目に収録された『アフリカのクリスマス』において共同作詞、プロデュース。
  • DETONATORオーガン - 全編楽曲
  • カムイ・ミンタラ - 全編楽曲
  • グローリー戦記 - イメージアルバム
  • PEVO - プロデューサー(ヴォルキス・プロラデュークとして)、作曲家(P-MODELのカバー)、ボーカル、ギター
  • Shampoo - プロデューサー
  • THE LOODS - プロデューサー
  • 上領亘 - 「voix」、「鴉」
  • 剣風伝奇ベルセルク - 「BERSERK 〜Forces〜」(劇中歌)
  • 宮村優子 - 「Mother」、「MOON」、「Ruktun or Die」
  • ロスト・レジェンド - 全編楽曲
  • ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章 - 全編音楽
  • 千年女優 - 全編楽曲
  • ゆいこ - 「陸の人よ」(坂田四郎名義で一部作曲)
  • おかあさんといっしょ - 「地球ネコ」
  • 妄想代理人 - 全編楽曲
  • ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章 - 全編音楽
  • パプリカ_(アニメ映画) - 全編楽曲
  • ベルセルク 黄金時代編 - 「Aria」(主題曲)
  • ヤプーズ - 「ヴィールス」「コンドルが飛んでくる」
  • ベルセルク(2016年のアニメ) - 「灰よ」、「Ash Crow」(劇中歌)

参加

  • The Bach Revolution - 「No Warning」、「Synthesizer Study」
  • ロック&キーボード'79 シンセサイザー附録レコード - 「ダミーの策略」 - シンセサイザー演奏
  • 五十嵐久勝 - 「七節男」(P-MODELカバー) - 作詞・作曲・ギター演奏
  • 遠藤ミチロウ - 「ING,O!7」、「WATER SISTER」 - シンセサイザー演奏
  • THE LOODS - 「STOP」 - キーボード演奏
  • 梅津和時 - 「シェルブールから 〜シェルブールの雨傘」 - ボーカル
  • 戸川純 - 「バージンブルース」「吹けば飛ぶよな男だが」 - 編曲・演奏
  • ヤプーズ - アルバム『ダイヤルYを廻せ!』 - ギター参加
  • PEVO - アルバム『PEVO』 - ボーカル参加
  • 4-D mode1 - シングル『Die offizielle Raubkopie』、曲「My Neighbor Upstars」、シングル『緋色のCrew』 - ギター参加
  • nakaitoshifumi - アルバム『monogrammed』 - ギター、ボイス参加
  • 横川理彦 - 「Call」ボイス参加
  • 福間創 - 「this is our music」ゲストミュージシャンとして小西健司と共に参加

CM制作

(出典[173]

メーカー 商品名 タレント
ナショナル カラートランザムX30 - 1980年
キリンレモンサービス サーフブレイク ???? 1983年
資生堂 メンズムース とんねるず 1983年 - 1985年
松坂屋 山本寛斎プレタポルテ -
ソニー ビデオプロモーション
ネスレ ネスカフェエクセラ
帝人 ワオ
丸井 メンズ館
ユニ・チャーム シルコット ????
VOLVO ???? ???? ????
DENON CONCEPT ???? ????
本間ゴルフ ???? ???? ????
JT PR広告 ???? ????
ツクダ コンピューター・オセロ 岡本綾子 1985年
マイプリント ???? ???? ????
内田洋行 ???? 河口洋一郎手塚真柴門ふみ 1985年
NTT ???? ???? ????
アクメシステム ???? ???? ????
MAZDA ボンゴ ???? ????
タイタン ???? ????
松坂屋 ピットイン ???? ????
ミズノ ???? ???? 1988年または1989年
酒田時計貿易 RADO Ceramica 横尾忠則 1989年
雪印乳業 とってもゼリー 浅香唯
ピップフジモト 肩こり内服液 片岡鶴太郎 1990年または1991年
ユニベール ピポQ ダウンタウン

その他

公演

ライブ・コンサートツアー

形態 タイトル 会場 サポートメンバー
1989年 コンサートツアー 第1回"時空の水"ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
秋元一秀:Com
単発コンサート 人間大地・めざめの里 Festival '89 秋元一秀:Ba
コンサートツアー 第2回"時空の水"ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
秋元一秀:Key
ゲスト:
SOFT BALLET (9月8日)
橋本一子 (9月28日)
単発コンサート across the forewaters (ソロ)
1990年 コンサートツアー ライヴ・フォトン ことぶき光:Key、Cho
小西健司:Key、Cho
秋元一秀:Com
名倉丈雄:Com
ゲスト:
戸川純 (5月19日)
世界タービン・ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
秋山勝彦:Ba
秋元一秀:Key
ゲスト:
梅津和時 (7月4日/7月11日)
戸川純 (7月4日)[注釈 24]
オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ナース (7月11日)
単発コンサート 人間大地・めざめの里 Festival '90 ことぶき光:Key
秋元一秀:Key
ライブイベント ERROR FORCE ことぶき光:Key
秋元一秀:Key
高橋BOB:Ba
藤井ヤスチカ:Dr
コンサートツアー 世界タービン・ツアー Vol.2 戸川純:Cho
1991年 ヴァーチュアル・ラビット・ツアー ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
砂原良徳:Key2
本地陽子:Viol
横川理彦:Viol
戸川純:Cho
秋山勝彦:Cho
藤井一彦:Cho
藤井ヤスチカ:Cho
ライブイベント I3 DAYS ことぶき光:Key
友田真吾:Dr
高橋BOB:Ba
藤木弘史:Key2
戸川純:Cho
1992年 Hi-Res (ソロ)
I3 DAYS '92 ことぶき光:Key
高橋BOB:Ba
上領亘:Dr
ゲスト:
秋山勝彦:Cho
戸川純:Cho
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Cho
砂原良徳:Cho
蔦木栄一:Cho
1993年 ERROR OF INFORMATION 待機 (ソロ)
I3 DAYS '93 高橋BOB:Ba
上領亘:Dr
TAKA:Key
ゲスト:
小西健司:Cho
1994年 単発コンサート ERROR ENGINE 平沢三幕三時間 第一幕
小西健司:Syn
第二幕
(ソロ)
第三幕
横川理彦:Viol
本地陽子:Viol
高橋BOB:Ba
上領亘:Dr
TAKA:Key
戸川純:Cho
梅津和時:Sax
1999年 コンサートツアー Live-Phonon 渡橋する声軍 中野テルヲ:Systems
福間創:Systems
TAINACO:Dr
2001年 単発コンサート Hirasawa Energy Works - Solar Live LIVE SOLAR RAY (ソロ)
2005年 ライブ・トーク・イベント -GREEN NERVE PRESENTS- 反射の集いは氷の9 ゲスト:
中野泰博
折茂昌美
2007年 単発コンサート PHONON2550 (ソロ)
2008年 PHONON2551
2010年 PHONON2553
2011年 東京異次弦空洞 Neng:パフォーマンス
Rang:パフォーマンス
2012年 PHONON2555 荒木康弘:Timpani
PEVO1号:Gt
2014年 平沢進×核P-MODEL HYBRID PHONON PEVO1号:Gt、Laser Harp、Tesla Coil
2016年 ライブ・トーク・イベント 景観する循環カフェ (観客参加:Cho)
2017年 景観する循環カフェ(追加公演)
単発コンサート 第9曼荼羅 SSHO:Gt、Cello、Systems
TAZZ:Dr、Violin、Key、Systems
上領亘:Dr (10月のみ)
2019年 ロック・フェスティバル 平沢進+会人(EJIN)
フジロックフェスティバル '19
(3日目)
白会人SSHO:Gt

白会人TAZZ:Gt、Tesla Coil

コンサートツアー 戦法STS
BATTLES JAPAN TOUR 2019
白会人SSHO:Gt

白会人TAZZ:Gt、Violin
ユージ・レルレ・カワグチ:Dr

2020年 平沢進+会人(EJIN)
会然TREK 2K20
会人93317543:Gt、Cello、Systems

会人66594428:Gt、Ba、Violin、Systems
ユージ・レルレ・カワグチ:Dr(3月のみ)

2021年 単発コンサート 24曼荼羅 SSHO:Systems
TAZZ:Systems
ユージ・レルレ・カワグチ:Dr
ロック・フェスティバル 平沢進+会人(EJIN)

フジロックフェスティバル '21

(3日目)

全1公演

   8月22日 苗場スキー場 WHITE STAGE

SSHO:Systems

TAZZ:Systems

ユージ・レルレ・カワグチ:Dr

インタラクティブ・ライブ

タイトル 会場 サポートメンバー
1994年 1 AURORA TOUR 1994 INTERACTIVE LIVE オーロラ伝説 戸川純:Cho、"マザー・オブ・ナバホ"役
2 TOKYOパラネシアン TAKA:Key、"電気ッTAKA"役
上領亘:アルゴリズム
高橋BOB:Ba、"IOラスタ"役
3 I3 DAYS '94「Adios Jay」 上領亘:アルゴリズム
1995年 4 INTERACTIVE LIVE SHOW SIM CITY TOUR Miss-N:Cho
1996年 5 INTERACTIVE LIVE SHOW Vol.5 SIREN Miss-N:Cho
Miss-Aeh:Cho
1998年 6 INTERACTIVE LIVE SHOW "WORLD CELL" 福間創:System
2000年 7 INTERACTIVE LIVE SHOW 2000 賢者のプロペラ MIRAI:System、"スペース・ナッカドー"役
小西健司:System、"アイアン・ナッカドー"役
2003年 8 Interactive Live Show 2003 LIMBO-54 (ソロ)
2006年 9 INTERACTIVE LIVE SHOW 2006 「LIVE 白虎野」
2009年 10 INTERACTIVE LIVE SHOW 2009 「点呼する惑星」 A-sai:パフォーマンス、"Naangfaa 1"役
Fiat:パフォーマンス、"Naangfaa 2"役
Rang:パフォーマンス、"Astro-Hue!"役
2013年 11 INTERACTIVE LIVE SHOW 2013 「ノモノスとイミューム」 折茂昌美:Vo、ナレーション、"サンミア"役
野田隼平:"Amputeeガーベラ"役
PEVO1号:折茂のエスコート
2015年 12 INTERACTIVE LIVE SHOW 2015 「WORLD CELL 2015」 PEVO1号:Gt、Laser Harp、村正
折茂昌美:"火事場のサリー"役(声のみ)
Rang:"Astro-Hue!"役(映像のみ)

万国点検隊

開催年 サブタイトル タイトル 舞台
1994年10月12日 - 10月17日 HIRASAWA BYPASS Presents 万国点検隊 トビラ島大追跡旅行団 タイ王国プーケット県
1995年10月10日 - 10月14日 第二回万国点検隊 วิวัฒน์ ธาราสงบ(ウィワット・ターラーサンゴップ)仮想救出移動団 タイ王国・バンコク
1996年10月16日 - 10月22日 第三回万国点検隊 偽装巡礼ソプラノ煩悩団 マレーシアクアラルンプール
1997年10月28日 - 10月31日 第四回万国点検隊 非局所性緑色免疫団 インドネシアバリ島
1998年11月28日 - 12月3日 第五回万国点検隊 世界細胞組合合唱鉄橋団 タイ王国・バンコク、ムアンカーンチャナブリー郡
2000年6月14日 - 6月19日 第六回万国点検隊 平行郷錬金術大プロペラ団 ミャンマーヤンゴンバガン
タイ王国・バンコク
2007年6月29日 - 7月3日 万国点検隊2007 P-0 タイ王国・プーケット県

ゲスト・ライブ

アクト タイトル 会場 バンドメンバー パート
1978年 The Bach Revolution FM25時・サウンド・カーニヴァル
シンセサイザー・ランド
神尾明朗:Syn
田崎和隆:Syn
小久保隆:Syn
田中靖美:Syn
Syn
1986年 THE LOODS MORE LOUD MACHINE SESSION 西村茂樹:Vo、Gt
鈴木浩司:Gt
村田語:Ba
佐藤勝彦:Dr
Key
1991年 ヤプーズ ヤプーズ デ ラ クルスの犯罪的人生
96m巻・2枚重ねミシン目あり
戸川純:Vo
泉水敏郎:Dr
中原信雄:Ba
吉川洋一郎:Key
ライオンメリィ:Key
Gt
SOFT BALLET SOFT BALLET meets 平沢進 遠藤遼一:Vo
森岡賢:Key
藤井麻輝:Key
上領亘:Dr
石塚伯広:Gt
Gt、Vo
1992年 梅津和時 続々・大仕事 梅津和時:Sax
小西健司:Com
Com
1994年 ヤプーズ I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA 戸川純:Vo
中原信雄:Ba
ライオンメリィ:Key
河野裕一:Gt
新井田耕造:Dr
Gt
TAKA I3 DAYS '94 TOKYO & OSAKA TAKA:Vo
1995年 LONG VACATION LONG VACATION'S LAST TOUR of the 20th CENTURY ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo
中野テルヲ:Key
みのすけ:Dr
2006年 4-D mode1 『Die Rekonstruktion』発売記念ライヴ 小西健司:Com、Vo
横川理彦:Com
成田忍:Com
Com、Gt、Vo
2009年 DRIVE TO 2010 Gt(前もって録画された)
2012年 PEVO PEVO!PEVO!PEVO! PEVO1号:Gt
PEVO2号:Ba
PEVO4号:Vo
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして)
2013年 ケラ&ザ・シンセサイザーズ ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー
生誕50周年・ナゴムレコード30周年&新生記念
(2日目)
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:Vo
三浦俊一:Gt、Key
福間創:Key
RIU:B
Reiko:Dr
Gt、Vo
2014年 PEVO NEOZIC PEVO1号:Gt
PEVO2号:Ba
PEVO4号:Vo
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして)
2016年 minus(-) ecru 森岡賢:Key、Vo
藤井麻輝:Key、Vo
Yuumi(FliP):Dr
山口美代子(detroit7):Dr
Gt、Vo
PEVO Mock'n'doll show 2016
擬装市民PEVO誕生
PEVO1号:Gt
PEVO2号:Ba
PEVO4号:Vo
Gt、Vo(ヴォルキス・プロラデュークとして)
ヒカシュー ヒカシューの絶景クリスマス 巻上公一:Vo
三田超人:Gt
坂出雅海:B
清水一登:Key
佐藤正治:Dr
ケラリーノ・サンドロヴィッチ:キューピッター
Gt、Vo

主な出演番組

テレビ出演

ラジオ出演

インターネット配信・出演

ライブ配信自体は2003年よりおこなっており、PeerCast(2003年・2006年)、Ustream(2009年 - 2016年)、Youtube(2017年 - )をそれぞれ用いている。

  • 亜種音TV - 2004年 - 、teslakite.com
  • Hirasawa監視50000秒 - 2011年8月 - 12月、Ustream(現在はYoutubeで視聴可能[267]
  • 「ベルセルク 黄金時代篇II」公開記念 平沢進と一緒に「Sign」投稿動画を見よう! - 2012年6月、ニコニコ生放送
  • 『ベルセルク 黄金時代篇III 降臨』公開記念 『(`Д´)ワージ!を超えろ!「Aria」歌詞ネットスタンダード認定祭』 - 2012年11月23日、ニコニコ生放送
  • HIRASAWA追跡70000歩 - 2013年8月7日 - 2015年1月2日、Ustream(現在はYoutubeで視聴可能[268])
  • 平沢進のBack Space Pass - 2014年5月31日 - (不定期)、Ustream、YouTube(現在は一部を除き,アーカイブがYoutubeで視聴可能[269][270][271][272][273])
  • 百足らず様が通る 「足らず講釈」 - 2016年5月16日 - 2017年1月16日、Youtube[274]
  • okagesama2019 - 2019年4月1日、susumuhirasawa.online[275]
  • 平沢進+会人(EJIN) - 2019年4月5日、Youtube[276]

その他出演イベント

  • 平���進×斎藤環「平沢進・徹底解剖!」 - トークイベント 2019年2月13日開催、VOLVO STUDIO AOYAMA、ニコニコ生放送

影響を受けた人物・作家・アーティスト

関連人物

  • 平沢裕一(平沢YOU1) - 平沢進の兄。グラフィックデザイナーとしてP-MODELやFC会報のジャケットを手がける。マンドレイク時代は演出チーム「ディバイス・マンドラゴラ」を率入り、メジャーデビュー後はセルフマネジメント事務所「MODEL HOUSE」リーダーを務めた。2013年4月より茨城県つくば市にてニューウェーブカフェバー「GAZIO」を経営していたが、2015年11月をもって閉店し、以降は不定期に、イベント「Cafe Gazio」や「ゆるGazi」などを開催している[314]
  • 中野泰博 - ショップメカノ店長。FC会報でのライブレポートや、万国点検隊隊長を務めたお礼として、核P-MODELのメカノ限定シングルを提供した。
  • 高橋かしこ - 編集者。記念本「音楽産業廃棄物」やライナーノーツを手がけている。平沢進ソロ25周年記念企画の監修を務め[315]、『初期三部作』のリマスター盤に解説を寄稿、ベストアルバム「Archetype」の選曲にも携わった。
  • Shampoo - 1979年に結成された女性ユニット。当時シンセサイザー教室の生徒だった折茂昌美と足立眞理を、講師だった平沢がプロデュース。1982年デビュー。その後、足立が1983年に脱退し折茂のソロユニットとなるが、1999年頃よりキーボーディストのKCこと鈴木KCが活動に参加し2011年に正式加入。折茂は2005年のFC会員限定イベント「反射の集いは氷の9」にゲストとして参加[316]。折茂はのちに大病を患い右足を切断するも、楽器化した特注の義足を駆使して活躍[317]。2013年には折茂がインタラクティブ・ライブ「ノモノスとイミューム」に登場人物の「サンミア」役として参加し、2015年には「World Cell 2015」に登場人物の「サリー」役として映像に出演している[166]。2018年にKCが逝去。
  • 村田語(カタル) - パンクバンドニューロティカのメンバー。かつて平沢がプロデュースしたバンドTHE LOODSのメンバーであった。その時平沢がP-MODELの菊池達也が使用していたベースを譲り渡したものの、後にライブで壊してしまっている[318]
  • 秋元きつね - 平沢初めての弟子として、80年代後半から90年代前半にかけてツアーライブや作品に19歳から参加。平沢から学んだAmigaを使いCG作家としてデビュー。1999年にスクエアエニックス���りゲーム『せがれいじり』を発表。2014年逝去。
  • 砂原良徳 - 「まりん」の愛称で知られ、1991年に平沢のソロコンサートツアー「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」のサポートメンバーとして参加。P-MODELの解凍期にメンバー入りも希望されていたが、電気グルーヴへ参加が先に決定したため実現しなかった。電気グルーブ入り後にはコラム『電気Grooveの生涯勉強』上で対談。また、砂原が「キーボードスペシャル」連載にてこのシンセを売ってくれる人を公募していた為、平沢は所有するMS-20の2台のうち1台を砂原に渡している[319][320]
  • 巻上公一 - P-MODELと共に「テクノ御三家」と称されたヒカシューのリーダー。「超声楽家」としても知られるテルミンの使い手。詩集『至高の妄想』で第一回大岡信賞を受賞。2016年12月の「ヒカシュー 絶景クリスマス」では庭師KING美術館で会った人だろ等を平沢と共に演奏並びに歌唱。互いに笑顔で握手や抱きつき合う等もした[321]。平沢とは熱海好き仲間でもある。
  • ケラリーノ・サンドロヴィッチ - 有頂天リーダー。80年代後半からの付き合いで平沢を「先輩」呼びしている。2016年12月の「ヒカシュー 絶景クリスマス」では平沢と共にゲストメンバーとして参加[322]
  • PEVO - P-MODELのコピーバンド大会「P-MANIA!」優勝バンド。バンドネームの由来はP-MODELとDEVOを掛け合わせたものであり、DEVOのような衣装が特徴的。ヴォルキス・プロラデューク名義で平沢がプロデュース。メンバーのPEVO1号は、2014年のライブ「パラレル・コザック」「HYBRID PHONON」や、2015年のインタラクティブ・ライブ「World Cell 2015」にサポートメンバーとして出演した[323][235][324]
  • テスラコイル - 高周波、高電圧を発生させることのできる共振型変圧器。平沢がスタッフに頼み当時入手可能な最大の物を確保、ライブ演奏で使用する様になる。平沢所謂性別は女性でサポートメンバーの一人[325]
  • 斎藤環 - 筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。初期P-MODELからのファンであり、平沢とは2000年からの付き合い。2019年にはゲンロンカフェにて平沢と対談公演、配信を行った[326]

脚注

注釈

  1. ^ パワーホール」作曲時の名義
  2. ^ ハリケーンズ・バム』作曲時の名義
  3. ^ (『陸の人よ』共制作時の名義
  4. ^ PEVOプロデュース時の名義
  5. ^ P-MODEL時代のメンバー達から呼ばれていた。90年台からは一部のファンからも称されるようににり、オフィシャル・ファンクラブであるGreen Nerveの会報誌では師匠と呼ばれている。
  6. ^ インタラクティブ・ライブでは「CALL ヒラサワ」とのレスポンスが毎回行われる。
  7. ^ ファンクラブ会報にて「ステルス」また「ステルスメジャー」と呼ばれている。
  8. ^ ファンクラブ会報、音楽誌掲載時に呼称される。
  9. ^ その際の音源は『配線上のアリア』として1994年にCD化されている。(Pre P-MODEL名義)
  10. ^ 後にリリースされたマンドレイク・アンリリースド・マテリアル・パート2 にも収録されている。
  11. ^ CM使用部分は平沢が作曲、残りはゆいこ作曲となっている。
  12. ^ 歌唱は今井ゆうぞうはいだしょうこ
  13. ^ 所謂、一般的なライブ・コンサートの事を指す。
  14. ^ ただし名前の由来に関する作者からの正式なアナウンスは発表されていない。
  15. ^ P-MODELのメジャーデビュー曲「美術館にあった人だろ(1979)」、平沢進ソロ「ロシアン・トビスコープ(1991)」の歌詞「東京の平沢です」 「ビックサイトで会った人だろ。」 https://www.tbs.co.jp/anime/k-on/k-on_tv/blog/200910300000.html 「横浜の平沢です」 https://www.tbs.co.jp/anime/k-on/k-on_tv/blog/200903100000.html
  16. ^ a b 新シングル「Aria」レコーディング風景も公開された。
  17. ^ オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじりである。
  18. ^ タイショックと呼ばれる
  19. ^ saopraphetson、สาวประเภทสอง:第二の女性/平沢の著書やHPでSP2とも表記されることがある
  20. ^ 書籍『音楽産業廃棄物』にて平沢は、アルバム「」に因み「舟を出航させるために、みんなの港をメンバー全員が作るという意味あいですね」と語っている。
  21. ^ ゴールドトップ、P-90、テールピースはゴルドー製のトレモロ仕様
  22. ^ 2021年にはフジロック出演に際しての特別仕様「EVO-PHYTO ELECTRON SEED」を使用した。
  23. ^ 「平沢進のCG年賀状」にて、同曲のアレンジが挿入されている。
  24. ^ 7月11日の渋谷公会堂公演は、病欠のために不参加。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k Donelson, Marcy. Susume Hirasawa | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月6日閲覧。
  2. ^ a b 平沢進 - プロフィール”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2021年7月6日閲覧。
  3. ^ 平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月5日閲覧。
  4. ^ 十周年期を超えた平沢進が示唆する未来への手引き”. Qetic (2020年1月27日). 2021年10月3日閲覧。
  5. ^ プロフィール| 平沢進 | 日本コロムビアオフィシャルサイト”. 日本コロムビア公式サイト. 2021年10月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 平沢進ディスコグラフィー|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年1月28日閲覧。
  7. ^ 平沢進ディスコグラフィー|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月5日閲覧。
  8. ^ 平沢進ディスコグラフィー・賢者のプロペラ|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月1日閲覧。
  9. ^ 奇才・平沢が提唱する“真”のインタラクティヴ【パート1】”. BARKS. 2021年10月1日閲覧。
  10. ^ 平沢進ディスコグラフィー・賢者のプロペラ|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月1日閲覧。
  11. ^ (日本語) 平沢進のBack Space Pass「 会然TREK 2K20編」, https://www.youtube.com/watch?v=rQXCWGlaI8Q 2021年9月30日閲覧。 
  12. ^ Phantom Notes – ページ 81 – Phantom Notes|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月6日閲覧。
  13. ^ 【知らなきゃ損】近未来的な音楽使い「平沢進」の創り出す世界観が独創的でスゴすぎる! (2015年12月6日) - エキサイトニュース(2/2)”. エキサイトニュース. 2021年10月6日閲覧。
  14. ^ タルボ遣いの先人たち”. www.ikebe-gakki.com. 2021年10月4日閲覧。
  15. ^ 2003年12月 – Phantom Notes|平沢進 Susumu Hirasawa (P-MODEL) Official site”. susumuhirasawa.com. 2021年10月4日閲覧。
  16. ^ 変弦自在Hen-Gen-Ji-Zai – 平沢進・公式サイト|information”. susumuhirasawa.com. 2021年10月4日閲覧。
  17. ^ rittor_snrec (1588471202). “平沢進『オーロラ』(1994年)”. サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア. 2021年10月4日閲覧。
  18. ^ ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使
  19. ^ 平沢進DVD – ページ 2 – 平沢進・公式サイト|information”. susumuhirasawa.com. 2021年10月4日閲覧。
  20. ^ 平沢進が語るバトルス(Battles)、フジロック、そして2020年のライブ〈会然TREK 2K20〉”. Mikiki. 2021年10月4日閲覧。
  21. ^ SIREN - 架空のソプラノ / 平沢進 [CHTE-0041 - 5,238円 : TESLAKITE ONLINE SHOP : SUSUMU HIRASAWA / P-MODEL CD,GOODS,MP3]”. shop.teslakite.com. 2021年10月4日閲覧。
  22. ^ LIVE 核P-MODEL『パラレル・コザック』驚愕のライブ&機材レポート!”. www.ikebe-gakki.com. 2021年10月4日閲覧。
  23. ^ DVD LIVE VISTORON – 平沢進・公式サイト|information”. susumuhirasawa.com. 2021年10月4日閲覧。
  24. ^ ARCHIVE”. SAPPORO BEER OTOAJITO | J-WAVE 81.3 FM RADIO. 2021年1月20日閲覧。
  25. ^ ラッパーDAOKOを創った3つの音楽 | J-WAVE NEWS”. J-WAVE NEWS | 音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」 | J-WAVE 81.3 FM. 2021年1月20日閲覧。
  26. ^ 「SONAR MUSIC (sonar813)」2017年1月25日より
  27. ^ タルボ遣いの先人たち”. www.ikebe-gakki.com. 2021年9月25日閲覧。
  28. ^ NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【KAYO DOT : PLASTIC HOUSE ON BASE OF SKY】Marunouchi Muzik Magazine | Marunouchi Muzik Magazine” (2016年7月12日). 2021年5月9日閲覧。
  29. ^ a b chwet (2016年1月13日). “リッカルド・ブレット氏インタビュー” (英語). chwet. 2019年1月31日閲覧。
  30. ^ WEBアニメスタイル | アニメ音楽���かじり(41)追悼・今 敏監督 その作品と音楽に迫る”. www.style.fm. 2021年6月18日閲覧。
  31. ^ WEBアニメスタイル | アニメ音楽丸かじり(41)追悼・今 敏監督 その作品と音楽に迫る”. www.style.fm. 2021年6月18日閲覧。
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外部リンク