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保坂秀樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
保坂 秀樹
プロフィール
リングネーム 保坂 秀樹
ミスター・ポーゴ2世
弁慶
本名 保坂 秀樹
身長 180cm
体重 110kg(全盛時)[1]
誕生日 (1971-08-05) 1971年8月5日
死亡日 (2021-08-02) 2021年8月2日(49歳没)
出身地 新潟県糸魚川市
所属 フリー
スポーツ歴 レスリング
トレーナー 大仁田厚
デビュー 1991年8月7日
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保坂 秀樹(ほさか ひでき、1971年8月5日 - 2021年8月2日)は、日本プロレスラー

経歴

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高校卒業後、1990年5月にサブミッション・アーツ・レスリング(S.A.W.)に入門、S.A.W.では木村浩一郎の後輩にあたる。保坂も1年間に渡り修行を積み、同道場から派遣される形で1991年8月7日W★INGプロモーション後楽園ホール大会での格闘技マッチでプロデビューした。

旧W★ING崩壊後、所属していた選手達の殆どがW★INGプロモーションに移籍する中、保坂はW★INGプロモーションと別れたWMAに所属するものの、WMAは一試合も行うこと無く活動停止してしまう。

その後、PWCに移籍して弁慶のリングネームで試合を行うものの同団体の経営難から離脱し、一時リングスにも出場するなどしたが、1994年FMWに活動の場を移しW★ING同盟で活躍。1995年2月にリッキー・フジを破り第3代インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を獲得する。2000年4月には、佐々木嘉則をパートナーにWEWハードコアタッグ初代王者になり、同タッグ王座には合計3度就くことになった。

FMW所属時から全日本プロレスに登場していたが、2002年3月23日に正式に全日本プロレスへ入団した。中堅どころとして活動していたが、2003年当時、対抗戦を行なっていたプロレスリングZERO-ONEに参戦した際に「ZERO-ONE最高」といった旨の発言を行い全日本と敵対したことから、全日本に籍を残しながらZERO-ONEにレギュラー参戦していた。しかし、ZERO-ONE崩壊後は全日本に所属していない。5月に右膝を骨折し、長期欠場することとなった。

長期欠場の後、2006年9月24日維新力30周年記念大会で復帰した。当初は天龍源一郎の付き人として来ただけだったが、天龍の一言で復帰することになった。

その後もWMFでヒールとして継続参戦を続けていたが、団体も解散となりセミリタイア状態となった。

2012年、茨城県を本拠とするローカル団体であるごじゃっぺプロレスのGJPヘビー級初代王者となった。

2014年8月23日、新潟市新潟デンカビッグスワンスタジアム前の特設会場にてスーパーササダンゴマシンと新潟無差別級選手権試合を行う。結果は、対戦相手のササダンゴが自らアイス・バケツ・チャレンジをした後、ラリアットからの片エビ固めで保坂の勝利となった。

2016年10月、千葉県袖ケ浦市の市議会選挙にも立候補したが、最下位で落選した[2]

2017年、ミスター・ポーゴが死去したことに伴い、自らが「ミスター・ポーゴ2世」になることを表明する。現時点では師匠の大仁田厚の引退時まで同リングネームで活動することを発表した。

2019年8月18日の大日本プロレス大阪大会後、体調が悪化したため9月13日に緊急入院した[3]。検査の結果、医師から大腸がんステージ4で肝臓にもがんが転移していることを告知された[3]。10月15日に手術を受けたが、腹膜炎を発症したため同24日に再手術を行った[3]。なお、保坂と親交が深かったプロレスリングA-TEAMは12月27日、新木場1stRINGにおいて「がんばれ “弁慶”!負けるな、保坂秀樹!!」のタイトルで保坂を応援する興行を開催した[4]

2021年8月2日、がんのため死去。49歳没。大腸がんは快方に向かっていたが、肝臓がんとの闘いが続いていた。保坂の師匠でもある大仁田は、「俺より先に逝きやがってバカヤロー!」と悲痛のコメントを寄せ、保坂の冥福を祈った[5][6]

得意技

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ビルディングボム
シットダウン式ラストライドと同型。
ラリアット

タイトル歴

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入場曲

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  • 初代 : BALLS TO THE WALL(ACCEPT)
  • 2代目 : WILDER
  • 3代目 : WALK
  • 4代目 : BUILDINGBOMB

脚注

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  1. ^ 全日本プロレス 選手名鑑その2。2024年6月24日閲覧
  2. ^ “【袖ケ浦市議選】保坂は最下位で落選「チャレンジやめない」”. 東京スポーツ. (2016年10月17日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/165343 2024年2月20日閲覧。 
  3. ^ a b c “保坂秀樹ががんと壮絶闘病生活 大腸がんステージ4 肝臓にも転移”. ENCOUNT. (2019年11月13日). https://encount.press/archives/9279/ 2020年1月26日閲覧。 
  4. ^ “12/28 がん闘病中・保坂秀樹支援大会開催、大仁田ら38選手が熱闘”. プロレス/格闘技DX. (2019年12月28日). http://dx-sp.gsj.bz/dxnews.Index/detail/?news_id=20191229001&organization_id=89&company_id=01&contents_id=2 2020年1月26日閲覧。 
  5. ^ “プロレスラー保坂秀樹さん49歳で死去 師匠の大仁田厚「本当にいいパートナーだった」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2021年8月2日). https://www.daily.co.jp/ring/2021/08/02/0014557703.shtml?pu=20210802 2021年8月2日閲覧。 
  6. ^ “大仁田厚の愛弟子・保坂秀樹さんが死去…49歳、肝臓がんで”. スポーツ報知. (2021年8月2日). https://hochi.news/articles/20210802-OHT1T51188.html 2024年2月20日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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