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1973年のロッテオリオンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1973年のロッテオリオンズ
成績
パシフィック・リーグ3位
70勝49敗11分 勝率.588[1]
前期2位 35勝27敗3分
勝率.565[1]
後期2位 35勝22敗8分
勝率.614[1]
本拠地
都市 東京都
球場 特定本拠地なし
(主に宮城球場を使用)
球団組織
オーナー 重光武雄
経営母体 ロッテ
球団社長 松井静郎
監督 金田正一
« 1972
1974 »

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1973年のロッテオリオンズでは、1973年のロッテオリオンズの動向についてまとめる。

この年のロッテオリオンズは、金田正一監督の1年目のシーズンである。

概要

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1971年以来のAクラス復帰と3年ぶりの優勝をめざすロッテは、前年10月から就任した重光武雄オーナー(ロッテ本社社長)が三顧の礼をもって国鉄巨人で活躍した往年の400勝投手・金田正一を監督に招聘し5位に終わったチームの再建に着手。しかし前シーズンオフに、東京スタジアムの買い取りを球団が拒否したことから、このシーズンから特定の本拠地を持たないいわゆる「ジプシー球団」と呼ばれる状況に陥ったため、本拠地不在のまま他球団の本拠地を借りて公式戦を行った。日本野球機構に登記した保護地域の移動承認が規定の前年(1972年)11月までに間に合わなかったため、この年は東京都のままで、本拠地開催扱いの約半数は宮城球場で行う変則的なものとなった。

本拠地不在ながらも金田新監督のもと、チームは前期は南海、後期は阪急とそれぞれ熾烈な首位争いを演じたが、惜しくも優勝はならなかった(この年は前期優勝ながらも勝利数3位の南海が後期優勝の阪急をプレーオフで破り優勝)。しかし2位阪急の77勝に次ぐ70勝をあげ、翌1974年の優勝と24年ぶりの日本一につながった。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 弘田澄男
2 ラフィーバー
3 アルトマン
4 有藤通世
5 池辺巌
6 山崎裕之
7 村上公康
8 木樽正明
9 飯塚佳寛
1973年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位 4月終了時 5月終了時 前期成績
1位 太平洋 -- 南海 -- 南海 --
2位 ロッテ 1.0 ロッテ 3.5 ロッテ 2.0
3位 南海 3.0 太平洋 7.0 阪急 3.5
4位 日拓 4.5 阪急 10.0 太平洋 5.0
5位 阪急 5.0 日拓 12.0 日拓 12.0
6位 近鉄 7.5 近鉄 13.5 近鉄 13.5
後期
順位 8月終了時 9月終了時 後期成績
1位 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 日拓 7.0 ロッテ 6.5 ロッテ 5.5
3位 ロッテ 7.5 日拓 11.5 南海 13.0
4位 南海 10.0 南海 12.5 日拓
5位 太平洋 11.0 太平洋 15.5 太平洋 15.5
6位 近鉄 15.5 近鉄 23.0 近鉄 25.0
前期最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 38 26 1 .594 優勝
2位 ロッテオリオンズ 35 27 3 .565 2.0
3位 阪急ブレーブス 34 29 2 .540 3.5
4位 太平洋クラブライオンズ 32 30 3 .516 5.0
5位 日拓ホームフライヤーズ 25 37 3 .403 12.0
6位 近鉄バファローズ 23 38 4 .377 13.5
後期最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 43 19 3 .694 優勝
2位 ロッテオリオンズ 35 22 8 .614 5.5
3位 南海ホークス 30 32 3 .484 13.0
3位 日拓ホームフライヤーズ 30 32 3 .484 13.0
5位 太平洋クラブライオンズ 27 34 4 .443 15.5
6位 近鉄バファローズ 19 45 1 .297 25.0


1973年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 68 58 4 .540 優勝
2位 阪急ブレーブス 77 48 5 .616 -9.5
3位 ロッテオリオンズ 70 49 11 .588 -5.5
4位 太平洋クラブライオンズ 59 64 7 .480 7.5
5位 日拓ホームフライヤーズ 55 69 6 .444 12.0
6位 近鉄バファローズ 42 83 5 .336 25.5

*優勝はプレーオフで決定。3位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定


オールスターゲーム1973

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ファン投票 山崎裕之 有藤通世 長谷川一夫 千田啓介
監督推薦 木樽正明 成田文男 アルトマン
  • 取り消し線は出場辞退

できごと

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  • 5月3日 - 対太平洋3回戦(川崎球場)で、太平洋のファンからグラウンドに物を投げ込まれる騒動が起きる(ライオンズとの遺恨の勃発)[2]
  • 10月10日 - 八木沢荘六が対太平洋戦(県営宮城球場)において、史上13人目(パ・リーグ6人目)の完全試合を達成。
  • 10月17日 - パ・リーグのオーナー懇談会が大阪市内のホテルで開かれ、日拓のオーナー西村昭孝が「16日にロッテの重光社長と会い、ロッテと日拓が合併することで合意した」と発言[3]

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
成田文男 最多勝利 21勝 3年ぶり2度目
最多奪三振 178個 初受賞
八木沢荘六 最高勝率 .875 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
成田文男 投手 初受賞
有藤通世 三塁手 5年連続5度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
成田文男 投手 初受賞
有藤通世 三塁手 2年連続2度目
弘田澄男 外野手 初受賞

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 佐藤博正 投手 札幌商業高 入団
2位 小鷹卓也 投手 飯能高 入団
3位 袴田英利 捕手 自動車工業高 拒否・法政大学進学
4位 浜師勝彦 投手 新日本製鐵室蘭 拒否

出典

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  1. ^ 年度別成績 1973年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
  2. ^ 読売新聞1973年5月4日夕刊5面「首位攻防、ファン暴走 ヘルメット守備 ロッテ・太平洋戦 酒ビンやイス投げる」読売新聞縮刷版1973年5月p101
  3. ^ 朝日新聞1973年10月18日19面「ロッテ・日拓 合併 パの懇談会 西村オーナー発言」
  4. ^ 千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月19日閲覧。