無相 (僧)
無相(むそう、宝暦6年(1756年) - 文化8年11月3日(1825年12月18日))は、江戸時代後期の僧。新義真言宗豊山派における法相教学・華厳教学の学僧であり、連歌をよくした。字は無動。
無相 | |
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(1756年)- 文化8年(1825年) | |
生地 | 上野国 |
没地 | 湯島・根生院 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 豊山派 |
寺院 | 根生院 |
師 | 恵隆 |
生涯
編集上野国群馬郡に生まれ、12歳の時に同国護国寺の恵隆について剃髪し、瑜伽行などに励んだ。18歳の時から36年間、豊山で修行と学問研究を続けた。
24歳のときには、六合釈を講じて、寛政3年(1791年)から同9年まで法相業を、享和2年(1802年)から文化5年(1808年)まで仏華業を務めた。
文化7年(1810年)春に浦和の玉蔵院に帰り、文政元年(1818年)湯島の根生院第31代の住職となり、同8年(1825年)11月3日に亡くなった。享年69。
業績
編集無相は、連歌を趣味にしていた。それまでも長谷寺の連歌は有名であったが、無相が出てから更に全国に知れわたった。そして彼は連歌集を2部と、連歌について『連歌百談』1巻(豊山全書巻20)を残して、句体・句題・心構えなどを説き、連歌を広めた。
著作
編集- 因明三十三過本作法纂解正誤並図註 1巻
- 科註因明入正理論 1巻
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 隆慶『豊山伝通記』
- 櫛田良洪『真言密教成立過程の研究』