コンテンツにスキップ

清水透

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水宏悦から転送)
清水 透
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 富山県富山市
生年月日 (1950-07-04) 1950年7月4日(74歳)
身長
体重
177 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1972年 ドラフト7位
初出場 1973年5月6日
最終出場 1983年6月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

清水 透(しみず とおる、1950年7月4日 - )は、富山県出身の元プロ野球選手である。1978年から1983年までの登録名は、清水 宏悦(しみず ひろよし)。

来歴・人物

[編集]

佼成学園高校在学時の1968年、同期のエース猪狩志郎駒大)を擁し、遊撃手として第40回選抜高等学校野球大会に出場。しかし1回戦で、この大会に準優勝した尾道商井上幸信に抑えられ、1-2で敗れる[1]。他の高校同期に右翼手森山正義がいた。

卒業後は河合楽器でプレー、都市対抗の常連として活躍。1970年のプロ野球ドラフト会議で大洋ホエールズから3位指名を受けるも、入団を拒否[2] 。2年後の1972年ドラフト会議で再び大洋ホエールズから指名(7位)を受け、入団[3]

プロ入り後は、主に内野のユーティリティプレーヤーとして起用され、1976年には一軍に定着、同年は23試合に先発出場を果たす。翌1977年外野手もこなし。その後も一軍で起用されるがレギュラーには届かなかった。1982年オフ、吉本博外野手との交換トレードで西武ライオンズに移籍したが、出場機会に恵まれず1983年のシーズンをもって引退した[3]

1977年4月29日に川崎球場で開催された阪神タイガース戦で外野に飛球を放った際、守備に就いていた佐野仙好が外野フェンスに激突して負傷。これが契機となって、川崎球場をはじめとする多くの球場の施設が改善された。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1973 大洋 24 9 9 4 1 0 0 0 1 0 1 1 0 0 0 0 0 1 0 .111 .111 .111 .222
1974 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1976 38 87 77 9 16 2 0 3 27 5 1 1 6 0 3 0 1 13 2 .208 .247 .351 .598
1977 64 76 66 6 10 5 0 1 18 4 0 0 3 1 6 0 0 14 1 .152 .219 .273 .492
1978 50 47 40 7 8 2 0 0 10 4 0 1 1 0 3 0 3 10 1 .200 .304 .250 .554
1979 45 48 41 5 12 2 0 1 17 8 2 0 2 1 3 0 1 11 1 .293 .348 .415 .762
1980 51 50 45 4 11 2 0 1 16 4 0 0 0 0 4 0 1 10 1 .244 .320 .356 .676
1981 70 71 65 3 15 5 0 0 20 5 0 0 1 1 3 0 1 16 2 .231 .271 .308 .579
1982 40 38 32 1 5 1 0 1 9 1 0 1 1 0 5 0 0 8 0 .156 .270 .281 .552
1983 西武 15 11 9 2 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 0 0 3 0 .111 .273 .111 .384
通算:10年 398 437 384 41 79 19 0 7 119 32 4 4 14 3 29 0 7 86 8 .206 .272 .310 .582

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 22 (1973年 - 1979年)
  • 23 (1980年)
  • 41 (1981年 - 1982年)
  • 50 (1983年)

登録名

[編集]
  • 清水 透 (しみず とおる、1973年 - 1977年)
  • 清水 宏悦 (しみず ひろよし、1978年 - 1983年)

脚注

[編集]
  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ このドラフトで、河合楽器からは山下慶徳がヤクルトに1位指名、佐野勝稔が近鉄に5位で指名された。河合楽器は清水が巨人に指名されたらプロ入りさせる意向で、巨人も4位か5位で指名を予定していた。しかし大洋が先に3位で指名してきたため、河合楽器はプロ入りを許さず、残留という形となってしまった。
  3. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、275ページ

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]