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マクラーレン・MP4/10

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクラーレン・MP4/10
マクラーレン・MP4/10B
マクラーレン・MP4/10C
カテゴリー F1
コンストラクター マクラーレン
デザイナー ニール・オートレイ
アンリ・デュラン
先代 マクラーレン・MP4/9
後継 マクラーレン・MP4/11
主要諸元[1][2][3]
シャシー カーボンファイバー ハニカム コンポジット
サスペンション(前) 不等長ウィッシュボーン, プッシュロッド, インボード・スプリング/ダンパー
サスペンション(後) 不等長ウィッシュボーン, プッシュロッド, インボード・スプリング/ダンパー
エンジン メルセデス・ベンツ FO110, 3,499 cc (213.5 cu in), 75度 V10, NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション マクラーレン 横置き 6速 セミAT
燃料 モービル
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム マールボロ マクラーレン メルセデス
ドライバー 7. イギリスの旗 マーク・ブランデル
7. イギリスの旗 ナイジェル・マンセル
8. フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン
8. デンマークの旗 ヤン・マグヌッセン
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1995年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
16000
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マクラーレン・MP4/10 (McLaren MP4/10) は、マクラーレン1995年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーである。チーフデザイナーはニール・オートレイエアロダイナミシスト[注釈 1]アンリ・デュラン

1995年シーズン開幕戦から実戦投入され、第3戦サンマリノGP以降はMP4/10B、終盤2戦ではMP4/10Cが使用された。

MP4/10

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エンジンはプジョーとの複数年契約を1年で打ち切り、この年からメルセデスV10エンジンを搭載する。ホンダエンジンの撤退後はフォード・コスワースHB (1993年) 、プジョー (1994年) 、メルセデスと3年続きでエンジンメーカーを乗り換えることになった。排気量はレギュレーション改訂により3.5リッターから3リッターに縮小された。エンジン開発者のマリオ・イリエンは、「マクラーレンとのパートナーシップが決まったのが1994年10月だった。私たちイルモアでは全員一致の考えで、昨シーズンサウバーに供給していた3.5Lエンジンを部分的に変更するのではなく、3000ccの全く新しいエンジンを創ろうということになった。排気量も削減されるし、マシンの底の下の厚さ(スキッドブロック)の規定も変わったので、エンジンのデザインも根本的に変えざるを得なかったという部分もあった。昨年途中からレギュレーション変更によって空力面でのダウンフォースを強制的に削られてしまった分、エンジンをこれまで以上に軽量コンパクトにする必要性も高まった。パワーと回転数を増やすために必死になって開発した。」と開発経緯を述べている[4]

シャシーはマクラーレンとしては初めて本格的なハイノーズを採用し、ベネトン式の吊り下げフロントウィングを装備した。ハイノーズはベネトンの「バナナノーズ」よりも鋭く尖り、上下にボリュームがあった。リアウィングのメゾネットウィングが禁止されたが、マクラーレンはエンジンカウルを水平方向に延長し、その上に小型の「センターウィング」を装着した。

センターウィングの効果やサイドポンツーンの形状には疑問符が付き、不恰好なハイノーズや冷却効率を無視したサイドポンツーン形状などにより、パドック関係者から「マクラーレンに空力エンジニアはいないらしい」と酷評された[5]。最大の失敗は空力を追求するあまりリアサスペンションをいじりすぎて剛性不足に陥り、ここまで基本を見失ったシャーシが出来上がったのは、オートレイ個人の能力よりもマクラーレンの開発体制に問題があると見られ、ウィリアムズF1パトリック・ヘッドは「スタッフの入れ換えも少なく、外部からの人材招聘による新鮮なインプットがないことにより、それが低迷の原因ではないか」と当時のマクラーレンを評している[5]

酷評されたセンターウィングだが、翌年以後毎年どこかのチームが、モナコなどダウンフォースが必要なサーキット限定で採用していた。水平方向に伸ばしたエンジンカウルは、後のシャークフィンの原型と見る説もある。

プレシーズンテストでは新加入のナイジェル・マンセルがコクピットの狭さを訴え、開幕2戦を欠場するという事態になった。チームはマンセルの代わりにマーク・ブランデルをレース毎の契約で乗せることとした。

スペック

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シャーシ

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エンジン

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記録

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No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント ランキング
1995 BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
EUR
欧州連合の旗
PAC
太平洋共同体の旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
30 4位
7 イギリスの旗マーク・ブランデル 6 Ret
8 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン 4 Ret

MP4/10B

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1995年イギリスGPでMP4/10Bを駆るミカ・ハッキネン、センターウィングは非装着。

マクラーレンはナイジェル・マンセルの要求に応じ、第3戦サンマリノGPからモノコックを拡大したMP4/10Bを投入した。マンセルはサンマリノGPと第4戦スペインGPで走ったが、予選でミカ・ハッキネンより遅く、決勝でもハッキネンより下位の10位・リタイアと成績低迷に意欲を失い、スペインGP後にチームとの契約解消を発表し、実質的にF1から引退した。以降はマーク・ブランデルがカーナンバー7に乗り、最終戦まで戦った。

MP4/10からの問題であるメルセデス・ベンツエンジンとのマッチングや空力に弱い点は解消されず[5]、戦闘力不足はウィリアムズベネトンフェラーリと比べると明らかで、更にMP4/10Cとモディファイされた。シーズンが進むにつれて次第に戦闘力は向上し、ハッキネンが2度の2位表彰台を獲得し、ブランデルも5度入賞圏内に食い込んだが、トップチームからは大きく離され2シーズン連続の未勝利に終わった。

第15戦パシフィックGPではハッキネンが虫垂炎になり、代役としてテストドライバーのヤン・マグヌッセンが起用された。マグヌッセンにとっては、マクラーレンでのレース出場はこの1戦のみであった。

ハッキネンは第16戦日本グランプリでは2位入賞したが、最終戦オーストラリアGPの予選でタイヤのパンクが原因でコンクリートウォールに激突。選手生命を左右する瀕死の重傷を負う。クラッシュの際、ヘルメットをステアリングに打ち付けて顔面を負傷したことから、以後マクラーレンのステアリング中央には衝撃吸収パッドが装着されることになった。

記録

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No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント ランキング
1995 BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
EUR
欧州連合の旗
PAC
太平洋共同体の旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
30 4位
7 イギリスの旗ナイジェル・マンセル 10 Ret
イギリスの旗マーク・ブランデル 5 Ret 11 5 Ret Ret 5 4 9 7 4
8 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン 5 Ret Ret Ret 7 Ret Ret Ret Ret 2 Inj 2 DNS
デンマークの旗ヤン・マグヌッセン 10

MP4/10C

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MP4/10Cは第13戦ポルトガルGPと第14戦ヨーロッパGPに投入された。

記録

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No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント ランキング
1995 BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
EUR
欧州連合の旗
PAC
太平洋共同体の旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
30 4位
7 イギリスの旗マーク・ブランデル 9 Ret
8 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン Ret 8

ドライバーズ&コンストラクターズランキング

[編集]

脚注

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  1. ^ エアロダイナミクス担当者のこと。
  1. ^ Mclaren MP4/10 Stats F1
  2. ^ Mclaren MP4/10B Stats F1
  3. ^ Mclaren Mp4/10C Stats F1
  4. ^ キーパーソンインタビュー マリオ・イリエン「ニューメルセデス」で間違いなく優勝する F1グランプリ特集 vol.069 24頁 1995年3月16日発行
  5. ^ a b c F1グランプリ特集』11月号、ソニー・マガジンズ、1996年、74-75頁。