コンテンツにスキップ

今川範彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
今川範彦
時代 江戸時代
生誕 享保元年(1716年
死没 寛延2年7月5日1749年8月17日
別名 主膳(通称
戒名 寂照院殿清岸浄空大居士[1]
墓所 長延寺
幕府 江戸幕府高家旗本
氏族 清和源氏足利氏今川氏
父母 父:今川範主、母:某氏
兄弟 範彦松平勝文、女(赤井林幸室)、義泰、女(稲垣正庸室)
秋月種輔の娘
義泰
テンプレートを表示

今川 範彦(いまがわ のりひこ)は、江戸時代中期の高家旗本今川範主の長男。今川家18代当主[注釈 1]

生涯

[編集]

享保13年(1728年)9月25日、父範主の死去により、13歳で家督を相続する[2]。享保17年(1732年)3月28日将軍徳川吉宗御目見する[2]寛延2年(1749年)7月5日死去、享年34[2]

正室は秋月種輔(旗本3000石、日向高鍋藩秋月家分家)の二女[2][3]。子女はいない[2]。実弟義泰が養子となり家督を継いだ[2]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 家祖・国氏から数えた代数。

出典

[編集]
  1. ^ 『今川氏と観泉寺』p.75、「近世今川家歴代法号一覧表」。
  2. ^ a b c d e f 『寛政重修諸家譜』巻第九十四「今川」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.540
  3. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千百八十八「秋月」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第七輯』p.204

参考文献

[編集]
  • 寛政重修諸家譜』巻第九十四「今川」
    • 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/280
  • 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)