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内藤香菜子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 香菜子
Kanako Naito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-11-04) 1980年11月4日
出身地 日本の旗 山梨県甲府市
没年月日 (2019-10-13) 2019年10月13日(38歳没)
ラテン文字 Kanako Naito
身長 182cm
体重 68kg
血液型 AB型
選手情報
愛称 カナ
ポジション MB / WS
指高 230cm
利き手
スパイク 308cm
ブロック 289cm
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内藤 香菜子(ないとう かなこ、1980年11月4日 - 2019年10月13日)は、日本の元女子バレーボール選手、バレーボール解説者。プレミアリーグNECレッドロケッツに所属していた。

来歴

山梨県甲府市出身。父親がスポーツ少年団の監督をしていた影響で、小学校1年生からバレーボールを始める。中学3年時に出場したさわやか杯ではJOC杯・オリンピック有望選手を受賞した[1]甲府商業高校では1997年、1998年春高バレーに出場し、1997年世界ユース選手権、アジアユース選手権(優勝)、1998年アジアジュニア選手権(3位)を経験した。

1999年、イトーヨーカドーに入社。2001年イトーヨーカドー廃部に伴い、武富士バンブーへ全体移籍。同年、全日本代表に初選出。同年のグラチャンで代表デビューを飾り、銅メダルを獲得した。2002年世界選手権に出場した。2006年度より武富士バンブー主将を務めた。第12回大会で3位、2006-07シーズンで4位となった。

2009年5月武富士バンブー廃部に伴い、同年7月NECレッドロケッツに移籍。

2010年7月よりレッドロケッツの主将に就任。翌年3月、2010-11プレミアリーグのブロック賞を獲得した。第60回黒鷲旗大会でチームを準優勝へ導き、自身も敢闘賞とベスト6賞を受賞した。

2012年6月、レッドロケッツを勇退[2]

2013年から株式会社エールに所属[3]。バレーボール解説者、バレーボール教室の講師として活動していた。

2019年10月13日、病気療養の末、死去[4]

球歴

受賞歴

所属チーム

脚注

  1. ^ 「訃報 内藤香菜子さん(元日本代表)」『月刊バレーボール』第73巻第15号、日本文化出版、2019年11月15日、64頁。 
  2. ^ NECレッドロケッツ. “2011年度勇退選手のメッセージ・現役選手からの贈る言葉”. 2012年7月14日閲覧。
  3. ^ コーチ陣紹介”. 株式会社エール. 2018年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月20日閲覧。
  4. ^ 元女子バレーボール日本代表・内藤香菜子死去 38歳 武富士、NECで活躍”. スポーツニッポン (2019年10月19日). 2019年10月19日閲覧。

外部リンク