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国木田虎雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国木田 虎雄(くにきだ とらお、1902年明治35年)1月5日 - 1970年昭和45年))は、大正・昭和期の詩人国木田独歩と2番目の妻治子の長男。

生涯

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東京・赤坂生まれ。1915年大正4年)に神奈川師範附属小学校を卒業。同級生に江川宇礼雄青柳信雄岡田時彦高橋英一)らがいた[1]京北中学校に進学するも病気のため中退した[2][3]福士幸次郎1922年(大正11年)に始めた詩誌『楽園』などに作品を発表し、同誌編集発行人の金子光晴はじめ、同人のサトウハチロー永瀬三吾今井達夫らと交流した[4]1923年(大正12年)に詩集『』、翌年『独歩随筆集』を出版する。松竹蒲田のエキストラ仲間だった香取幸枝(団鬼六の実母)と結婚して鵠沼に暮らすがその後離婚し[5][6]大田区馬込文士村に移る[4][注釈 1]

その後横浜出身の道子と再婚し、円本ブームで手にした父親の莫大な著作印税で新妻とホテル暮らしを始め、競馬で散財していたところを金子光晴に誘われ、1927年(昭和2年)に金子の案内で夫婦で上海に長期滞在して競馬三昧の日々を送る[7]。戦後は鎌倉に移り、鎌倉文庫勤務を経て藤沢病院精神科の看護長として10年ほど勤務したのち68歳で没した[4]

家族

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長男に映画俳優の三田隆がいる。モデルの国木田彩良は三田の孫で、虎雄の曾孫にあたる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 芥川龍之介は虎雄転居後の鵠沼の家をもとにして短編『悠々荘』を執筆した[4]

出典

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  1. ^ 『カツドウヤ水路』山本嘉次郎、筑摩書房, 1965、p46-48
  2. ^ 国木田虎雄20世紀日本人名事典
  3. ^ 国木田虎雄日本人名大辞典
  4. ^ a b c d 第0233話 鵠沼文化人百選 その020 國木田虎雄鵠沼を巡る千一話、鵠沼を語る会
  5. ^ 物語でめぐる金沢 「母と直木三十五」(『生きかた下手 自伝小説集』、団鬼六、文藝春秋)文・協力/金沢図書館タウンニュース金沢区・磯子区版、2015年12月3日号
  6. ^ わが寄席青春録正岡容、1952、青空文庫
  7. ^ 『どくろ杯』金子光晴、中央公論社、1971年、p82-