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堂山芳則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属していた元調教師北海道帯広市出身[1]。長男・堂山直樹は元騎手。

来歴

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父の堂山大企知は繋駕速歩競走騎手を経て平地競走調教師に転じたが病に倒れ、三男である芳則も1970年から騎手を務めていたが、1980年12月1日に調教師免許を取得し、30歳で父の厩舎を引き継ぐ形で開業した。騎手としての通算成績は、2259戦255勝(うち重賞11勝)[1]

1981年4月26日岩見沢競馬第2競走においてマウタオロシが管理馬初出走、4月28日岩見沢第8競走をハクセカイで制して初勝利を挙げている[2]

1990年代中盤には西本博厩舎から移籍したササノコバン道営記念連覇、第6回ブリーダーズゴールドカップでも2着と健闘した。2005年にはモエレソーブラッズで兵庫ジュニアグランプリを優勝しダートグレード競走初勝利を挙げている。2001年のミヤマエンデバー、2010年クラキンコ2019年リンゾウチャネルで、北海道三冠馬を三度手がけた。2009年から2012年まで北海優駿を4連覇している。

中央競馬への遠征では1996年ラベンダー賞をカケノジンライで優勝し、中央初出走ながら初勝利を挙げ、2003年札幌2歳ステークスをモエレエスポワールで制し、中央重賞初勝利を挙げている。

2015年5月6日門別競馬第2競走をミオネイチャーで制し、通算勝利数がホッカイドウ競馬調教師で史上最多の1394勝となった[3]

2023年11月30日をもって調教師を引退した[4]

主な管理馬

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出典

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  1. ^ a b 「杉本清の競馬談義 138」『優駿』日本中央競馬会、1996年9月号、72頁
  2. ^ a b c d e f “6月18日(木)「京成盃グランドマイラーズ(船橋)ソルテが8馬身差圧勝」ほか”. ラジオNIKKEI. (2015年6月18日). http://keiba.radionikkei.jp/keiba/6188.html 2015年10月24日閲覧。 
  3. ^ a b c “堂山芳則調教師ホッカイドウ競馬最多勝利記録達成について”. 一般社団法人北海道軽種馬振興公社. (2015年5月16日). http://www.hokkaidokeiba.net/topics/main.php?p_tcd=0000003766 2015年10月24日閲覧。 
  4. ^ ホッカイドウ競馬の堂山芳則師が勇退、3頭の3冠馬を手掛ける 道営記念は最多7勝日刊スポーツ、2023年11月30日配信・閲覧
  5. ^ サンビュート”. JBISサーチ. 2022年11月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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