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安芸敬一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安芸 敬一あき けいいち
生誕 1930年3月3日
日本の旗 日本横浜市
死没 (2005-05-17) 2005年5月17日(75歳没)
フランスの旗 フランスレユニオン島
居住 日本の旗 日本アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 地震学
研究機関 マサチューセッツ工科大学南カリフォルニア大学
出身校 東京大学
主な受賞歴 ウィリアム・ボウイ・メダル(2004年)
プロジェクト:人物伝
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安芸 敬一(あき けいいち、Keiiti Aki、1930年3月3日 - 2005年5月17日)は、日系アメリカ人地震学者東京大学地震研究所助教授・マサチューセッツ工科大学教授を経て、南カリフォルニア大学教授。

人物・生涯 

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横浜市で生まれた。父は土木工学者の安芸皎一である。東京大学出身、1959年東京大学より理学博士の学位を取得、学位論文の題は「Space and time spectra of stationary stochastic waves, with special reference to microtremors(複雑な波動のスペクトル的研究 : 特に微動について)。 東京大学地震研究所助教授マサチューセッツ工科大学教授をへて南カリフォルニア大学教授を務めた。アメリカ地球物理学連合の地震学部門の会長、アメリカ地震学会 (Seismological Society of America) の会長を務めた。インド洋上のフランス・レユニオン島火山活動の研究を行い、レユニオン島で没した。

研究 

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トモグラフィ常時微動コーダ波・火山物理・強震動など多彩な研究を行い、現代の地震学の基礎を築いた科学者の一人。1960年代から1970年代にかけて、地震の大きさを定量的に表す地震モーメントの導入、断層モデルによる地震波形の定量的再現、地球内部の地震波速度構造を鮮明に描き出す地震波トモグラフィー法の開発、などの先駆的業績を挙げた。また1970年代後半にはバリア理論を提唱して、金森博雄アスペリティ理論と論争になり、地震モーメントの研究が推し進められた。さらにPaul G. Richardsとともに「Quantitative Seismology」(邦題「地震学:定量的アプローチ」)を著し、世界中の地震学者らに愛読された。

受賞歴 

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著書 

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関連項目 

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参考文献 

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  • 蓬田清「安芸 敬一先生のご逝去を悼む」『日本地震学会ニュースレター』第17巻第2号、日本地震学会、2005年7月10日、3-4頁、ISSN 09195319