コンテンツにスキップ

末げん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有限会社末げん
種類 特例有限会社
本社所在地 日本の旗 日本
105-0004
東京都港区新橋2丁目15番7号
業種 小売業
法人番号 6010402007000 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

末げん(すえげん、新橋 末げん)は、1909年(明治42年)創業の老舗料理屋。東京都港区新橋2丁目15-7にある。創業者の丸源一郎が修行した店「末廣」と、彼の名前「源一郎」から「末げん」と称したのが「新橋 末げん」の起源である[1]

三島由紀夫自決前日の1970年(昭和45年)11月24日に楯の会のメンバー4名(森田必勝小賀正義小川正洋古賀浩靖)と最後の晩餐をした場所として知られる[2]。三島らは、奥の間(五番八畳)で鳥鍋料理の「わ」のコース(1人15,000円)とビール7本で会食をした[3][4]。事件後、三島らが最後の晩餐をした座敷は半年先まで予約で満員となり、彼らが食した料理はその後、「三島由紀夫最後の晩餐コース」という名称でメニューに加わることとなった[5]

三島由紀夫はこの店を、1954年(昭和29年)夏から1957年(昭和32年)頃まで交際していた女性(後藤貞子、旧姓・豊田)とも当時訪れ、この店で2人は初めて接吻を交わしたという[6][7]。ほかにも原敬六代目菊五郎などの著名人が贔屓にした店である。

脚注

[編集]
  1. ^ 明治42年創業「新橋 末げん」が守り続ける暖簾の文字
  2. ^ 「国会を占拠せよ ■第二回公判」(裁判 1972, pp. 59–82)
  3. ^ 「第九章 その前夜まで」(徳岡 1999, pp. 212–237)
  4. ^ 「第四章 憂国の黙契」(生涯 1998, pp. 233–331)
  5. ^ 「第十一章 その前夜と事件現場――決行前夜」(宮崎 2006, pp. 185–188)
  6. ^ 「わたり初め」(岩下 2008, pp. 44–53)
  7. ^ 「二章 女たちの時刻、午後の匂い――『沈める滝』の頃」(岩下 2016, pp. 47–58)

参考文献

[編集]
  • 『決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌』新潮社、2005年8月。ISBN 978-4106425820 
  • 安藤武『三島由紀夫の生涯』夏目書房、1998年9月。ISBN 978-4931391390 
  • 岩下尚史『見出された恋 「金閣寺」への船出』雄山閣、2008年4月。ISBN 978-4639020240  - 文庫版(文春文庫)は2014年8月 ISBN 978-4167901639
  • 岩下尚史『ヒタメン――三島由紀夫が女に逢う時…』文春文庫、2016年11月。ISBN 978-4167907358  - ハードカバー版(雄山閣)は2011年12月 ISBN 978-4639021971
  • 伊達宗克『裁判記録「三島由紀夫事件」』講談社、1972年5月。NCID BN0140450X 
  • 徳岡孝夫『五衰の人――三島由紀夫私記』文春文庫、1999年11月。ISBN 978-4167449032  - ハードカバー版は1996年11月 ISBN 978-4163522302
  • 宮崎正弘『三島由紀夫の現場』並木書房、2006年11月。ISBN 978-4890632077 

外部リンク

[編集]

座標: 北緯35度39分59.4秒 東経139度45分24.6秒 / 北緯35.666500度 東経139.756833度 / 35.666500; 139.756833