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舛岡富士雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ますおか ふじお

舛岡 富士雄
文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真
生誕 (1943-05-08) 1943年5月8日(81歳)
日本の旗群馬県高崎市
国籍 日本の旗 日本
教育 工学博士
出身校 群馬県立高崎高等学校
東北大学
職業 電子工学研究者
団体 東芝(1971年 - 1994年)
東北大学(1994年 - )
著名な実績 NOR型フラッシュメモリ及びNAND型フラッシュメモリの開発・発明
肩書き 東北大学大学院情報科学研究科教授(1994年時点)
東北大学電気通信研究所教授(1996年 - 2007年
東北大学電気通信研究所名誉教授(2007年 - )
通信・放送機構仙台リサーチセンターサブリーダー(1996年 - 2001年
電子情報技術産業協会電子材料・デバイス技術専門委員会委員(2001年 - 2004年
日本学術振興会特別研究等審査会専門委員(2002年 - 2004年)
敵対者 東芝(2004年 - 2006年)
受賞 IEEEモーリス・N・リーブマン記念賞1997年
市村産業賞本賞(2000年
本田賞2018年
栄誉 紫綬褒章2007年
文化功労者2013年
瑞宝重光章2016年
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舛岡 富士雄(ますおか ふじお、1943年5月8日 - )は、日本電子工学研究者。フラッシュメモリの発明者として知られており、1980年代にNOR型フラッシュメモリおよびNAND型フラッシュメモリを開発した[1]。1988年には、初期の非平面型3Dトランジスタ英語版である初のGate-all-around英語版(GAA)MOSFETGAAFET英語版)トランジスタも発明している。

東芝社員。東北大学名誉教授。現在は日本ユニサンティスエレクトロニクス株式会社最高技術責任者(CTO)として、Surrounding Gate Transistor(SGT)の開発を行っている。紫綬褒章文化功労者瑞宝重光章

来歴

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受賞歴

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フラッシュメモリ発明にまつわるエピソード

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東芝に入社後、高性能なメモリを開発したが売れないことに業を煮やした舛岡は、営業職を志願し、アメリカ合衆国のコンピュータ会社を回った。結局全然売る事ができず、1年もたたずに営業職からは外される。しかし、この時に何度も営業先に言われた「性能は最低限でいい。もっと安い製品はないのか」という言葉から、性能の向上ばかり考えず、需要に見合った機能を持つ製品を低コストで作るべきだと悟る。結果、情報を1ビットごとではなく一括消去するという、あえて性能を落としてコストを14以下にする方法を思いつき、フラッシュメモリが発明されるに至った[5]

東芝退社とその後

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その後、東芝は舛岡を地位こそ研究所長に次ぐ高い地位だが、反面、研究費も部下も付かない技監(舛岡曰く窓際族)に昇進させようとした。研究を続けたかった舛岡は、何とか研究を続けられるよう懇願したが受け入れられず、1994年に東芝を退社した[6]。1992年に東芝は当時は未熟だった市場拡大を目的としてNAND型フラッシュメモリの技術をサムスン電子に供与したが[7]、サムスンは巨額投資を重ねることで東芝を追い抜いて世界のフラッシュメモリのシェアで首位に立っている。東芝のNAND型フラッシュメモリも利益の大部分を稼ぎ出す主力事業に育ったが、2017年にも東芝首脳部の判断への批判があり舛岡も東芝だけではなく日本にも自身の開発した技術を正しく評価してくれる者がいなかったと嘆いている[8][9]

その後、東北大学大学院や、退官後に就任した日本ユニサンティスエレクトロニクス等で、フラッシュメモリの容量を10倍に増やす技術や、三次元構造のトランジスタ(Surrounding Gate Transistor)など、現在も研究者として精力的に研究活動を行っている。

裁判

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舛岡は自身が発明したフラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも200億円の利益のうち、発明者の貢献度を20%と算定。本来受け取るべき相当の対価を40億円として、その一部の10億円の支払いを求めて2004年3月2日東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こした。2006年7月27日に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡に対し8700万円を支払うこととなった[7]

論文

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  • K Hieda, F Horiguchi, F Masuoka. "High performance CMOS surrounding gate transistor (SGT) for ultra high density LSIs." Electron Devices Meeting, 1988. IEDM'88. Technical Digest., International. IEEE, 1988.
  • A Nitayama, F Horiguchi, F Masuoka. "A surrounding gate transistor (SGT) cell for 64/256 Mbit DRAMs." Electron Devices Meeting, 1989. IEDM'89. Technical Digest., International. IEEE, 1989.
  • K Hieda, F Horiguchi, F Masuoka. "Impact of surrounding gate transistor (SGT) for ultra-high-density LSI's." IEEE Transactions on Electron Devices 38.3 (1991): 573-578.
  • K Hieda, F Horiguchi, F Masuoka . "Multi-pillar surrounding gate transistor (M-SGT) for compact and high-speed circuits." IEEE Transactions on Electron Devices 38.3 (1991): 579-583.
  • F Horiguchi, K Ohuchi, F Masuoka. "A novel circuit technology with surrounding gate transistors (SGT's) for ultra high density DRAM's." IEEE Journal of Solid-State Circuits 30.9 (1995): 960-971.

特許

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他多数

脚注

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  1. ^ Jeff Katz (September 21, 2012). “Oral History of Fujio Masuoka”. Computer History Museum. March 20, 2017閲覧。
  2. ^ IEEE Morris N. Liebmann Memorial Award Recipients”. 2008年5月16日閲覧。
  3. ^ 平成25年度 文化功労者”. 文部科学省 (2013年11月3日). 2019年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月30日閲覧。
  4. ^ 秋の叙勲4055人 江田元参院議長に桐花大綬章 日本経済新聞 2016年11月3日
  5. ^ 朝日新聞2011年8月1日付夕刊
  6. ^ 日本に先端技術産業を残すためには技術の正当な評価が不可欠
  7. ^ a b セミコンポータル/Semicon Portal”. セミコンポータル/Semicon Portal. 2022年5月31日閲覧。
  8. ^ 残念な東芝で「フラッシュメモリーの父」は活かされなかった”. ダイヤモンド・オンライン (2017年5月29日). 2022年5月31日閲覧。
  9. ^ 世紀の発明「フラッシュメモリーを作った日本人」の無念と栄光(週刊現代) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年5月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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