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鍵谷カナ

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鍵谷カナの位置(日本内)
鍵谷カナ
鍵谷カナ頌功堂

鍵谷 カナ(かぎや カナ、天明2年(1782年) - 元治元年5月28日1864年7月1日))は、江戸時代後期の女性。伊予絣の創始者。

生涯

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天明2年(1782年)、伊予国伊予郡垣生村今出(温泉郡埴生村を経て現在の愛媛県松山市西垣生町)に生まれる。

農家に嫁ぎ、その傍ら伊予縞の布を生産した。それに見せられ、享和年間(1801年1804年)に新しい絣模様を考案、織屋の菊屋新助が考案した高機を使って織り出して、出身地名をとって今出絣を完成した。これが後に伊予絣となり、伊予の名物として人気を博した。

元治元年(1864年)5月28日に死去。長楽寺の墓[1]に埋葬されている。昭和4年(1929年)にその功績を称え、同寺に鍵谷カナ頌功堂[2]が建設された。また、民芸伊予かすり会館には銅像も建立された[3](手がけたのは西条市出身の彫刻家伊藤五百亀[4])。

脚注

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外部リンク

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