コンテンツにスキップ

INOKI BOM-BA-YE 2001

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
INOKI BOM-BA-YE 2001
イベント詳細
シリーズ INOKI BOM-BA-YE
主催 TBS
開催年月日 2001年12月31日
開催地 日本の旗 日本
埼玉県さいたま市
会場 さいたまスーパーアリーナ
開始時刻 午後6時
試合数 全8試合
(総合ルール×7、プロレス×1)
放送局 TBS
入場者数 35,492人
イベント時系列
INOKI BOM-BA-YE 2001 INOKI BOM-BA-YE 2002

INOKI BOM-BA-YE 2001(イノキボンバイエ にせんいち)は、日本格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE」の大会の一つ。2001年12月31日埼玉県さいたま市さいたまスーパーアリーナで開催された。

大会概要

[編集]

主催はTBS。運営・制作が総合格闘技イベントPRIDEDSE、協力が猪木事務所K-1となり、この布陣は、翌年のDynamite!INOKI BOM-BA-YE 2002まで継続した。試合は、PRIDEルールが採用されたが、総合格闘技に不慣れなK-1選手のために各ラウンドが3分で行われた。スペシャルマッチとしてプロレスの試合も1試合だけ実施された。

同年8月に日本テレビで放送されたK-1 JAPANシリーズの決勝戦で始まったK-1軍と猪木軍の対抗戦を引き継ぐ形で開かれ、これをコンセプトとして打ち出した。この大会から運営にK-1が加わるとともに、TBSが放送することになり、大晦日の当日放送となった。

この大会で、マイク・ベルナルド子安慎悟サム・グレコシリル・アビディジェロム・レ・バンナなどK-1を主戦場とする選手が総合格闘技デビューしている。

猪木軍の大将には同年8月19日の対抗戦でミルコ・クロコップに敗れていた藤田和之がアキレス腱を断裂し不出場となり、ミルコの対戦相手にはこれが総合格闘技デビューとなる新日本プロレス所属の永田裕志が抜擢された。前年のプロレスルールのMillennium Fighting Arts INOKI BOM-BA-YEには出場した小川直也UFO)は出場のオファーを受けたもののこれを断り[1][2][3]、猪木軍の選手確保は難航。一時はアントニオ猪木とも新日本プロレスとも関わりの薄いアメリカ人選手のガイ・メッツァーに覆面をかぶせて、タイガーマスクとして試合をさせるプランも浮上したという[4]

結局、メインには藤田と同じ猪木事務所の安田忠夫ジェロム・レ・バンナの対戦相手に指名され、圧倒的不利の下馬評を覆して安田がバンナから勝利を奪ったことで興行は大成功を収め、NHK『紅白歌合戦』の裏で視聴率は14.9%[5]と健闘した。対抗戦の戦績は猪木軍の2勝1敗4引き分け。

大会終了後の年越しイベントの2002個の餅投げの際、観客同士が乱闘になる傷害事件が発生。警察沙汰となった[6]

試合結果

[編集]
第1試合 K-1vs猪木軍 3分3R
南アフリカ共和国の旗 マイク・ベルナルド vs. 日本の旗 高田延彦
3R終了 時間切れ
第2試合 K-1vs猪木軍 3分5R
オーストラリアの旗 サム・グレコ vs. 日本の旗 佐竹雅昭
5R終了 時間切れ
第3試合 K-1vs猪木軍 3分5R
ブラジルの旗 エベンゼール・フォンテス・ブラガ vs. トリニダード・トバゴの旗 ゲーリー・グッドリッジ
5R終了 時間切れ
第4試合 K-1vs猪木軍 3分5R
日本の旗 子安慎悟 vs. 日本の旗 石澤常光
5R終了 時間切れ
プロレススペシャルマッチ
アントニオ猪木&ザ・グレート・サスケ vs. ジャイアント・シルバ&紅白仮面 ×
4:02 卍固め(猪木-紅白仮面)
第5試合 K-1vs猪木軍 3分5R
アメリカ合衆国の旗 ドン・フライ vs. フランスの旗 シリル・アビディ ×
2R 0:34 チョークスリーパー
第6試合 K-1vs猪木軍 3分5R
クロアチアの旗 ミルコ・クロコップ vs. 日本の旗 永田裕志 ×
1R 0:21 TKO(レフェリーストップ:左ハイキック→パウンド
第7試合 K-1vs猪木軍 3分5R
日本の旗 安田忠夫 vs. フランスの旗 ジェロム・レ・バンナ ×
2R 2:10 ギロチンチョーク

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]