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エディ・マクゴールドリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エディ・マクゴールドリック
名前
ラテン文字 Eddie John McGoldrick
基本情報
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1965-04-30) 1965年4月30日(59歳)
出身地 イングランドの旗イズリントン
身長 178cm
選手情報
ポジション ウィングセントラル・ミッドフィールダー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1984 イングランドの旗 ケタリング・タウン 110 (9)
1984-1986 イングランドの旗 ナニートン・バラ 81 (4)
1986-1988 イングランドの旗 ノーサンプトン・タウン 107 (9)
1988-1993 イングランドの旗 クリスタル・パレス 147 (11)
1993-1996 イングランドの旗 アーセナル 38 (0)
1996 イングランドの旗 マンチェスター・シティ (loan) 5 (0)
1996-1999 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 34 (0)
1998 イングランドの旗 ストックポート・カウンティ (loan) 2 (0)
2000 イングランドの旗 コービー・タウン 0 (0)
代表歴
1992-1995 アイルランドの旗 アイルランド 15 (0)
監督歴
2000 イングランドの旗 コービー・タウン (選手兼監督)
2003 イングランドの旗 バーシュリー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エディ・ジョン・マクゴールドリック(Eddie John McGoldrick、1965年4月30日 - )は、イングランド出身の元アイルランド代表サッカー選手である。ポジションはウィング、あるいはセントラル・ミッドフィールダーであった。現在はプレミアリーグクリスタル・パレスの育成アカデミーの監督である。

マクゴールドリックは、アーセナルFCクリスタル・パレスFCマンチェスター・シティFCなどでプレーした。

彼はアイルランド代表としてもプレーしている。

クラブキャリア

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彼は、ノーサンプトンシャー地方の小クラブ、ケタリング・タウンでキャリアをスタートさせた。1980年代前半は万能型の選手として、次の移籍先のナニートン・バラでも選手としての基盤づくりをしていった。フットボールリーグノーサンプトン・タウンにステップアップし、同リーグ4部のタイトルを手にした。

その活躍が認められ、クリスタル・パレスに引き抜かれた。パレスでプレーした1988-89シーズンのフットボールリーグ2部ではプレーオフ決勝にまで進んだ。ブラックバーン・ローヴァーズと対戦した、その試合において、彼は同リーグ1部への昇格を決める、イアン・ライトのゴールにつながるクロスを上げ、チームはホームアンドアウエーの合計4-3にした。また、1990-91シーズンのゼニス・データ・カップ英語版での勝利をも手にした。そのシーズンには、パレスはそれまでに無かったフットボールリーグ1部を3位で終えることとなった。しかし、彼は1990年のFAカップ決勝には出場しなかった。クリスタル・パレスでのキャリアを147試合出場、11ゴールで締めくくった。

1993年のプレミアリーグで、クリスタル・パレスは降格となり、彼はアーセナルへと移籍した。アーセナルでは、再びライトとチームメイトとなった、そして、同年8月7日にチャリティ・シールドマンチェスター・ユナイテッド戦でデビューした。1993-94シーズンは38試合に出場、同年のUEFAカップウィナーズカップ決勝でパルマにも勝利し、優勝を果たした。その後、補強選手の獲得により、次第に出場機会が減っていった。彼は、コーナーキックにおいて、変則的なループキックを用いたことで名を知らしめた。それは、ペナルティーエリア前に高く弧を描く軌道だった。アーセナルにおいて、彼は57試合に出場、1ゴールを記録した。

1996年の秋、彼はマンチェスター・シティへと移籍した。この移籍は、当初はローン移籍であったが、すぐに30万ポンドの移籍金による完全移籍に変わった。この頃のシティは、目まぐるしく監督が代わっていた。当初のローン移籍の際、完全移籍の際、それぞれ別の監督であり、そして、そのシーズンの終了までにさらに2人の監督の下でプレーすることとなった。[1]しかし、このクラブでの最終シーズンのほとんどを控え選手として過ごすことになり、1998年にはストックポート・カウンティでのプレーを余儀なくされた。

1999年までシティの選手としての籍を置き、その後、選手兼監督としてコービー・タウンでプレーし、選手生活を終えた。

代表キャリア

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彼はアイルランド代表歴があり、1994年のワールドカップのメンバーに選出されたが、本戦での出場は無かった。

監督キャリア

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引退後は、短期間ではあるが、2000年にコービー・タウンを、2003年にはバーシュリーの監督を務めた。

2008年、彼はノーサンプトン・タウンの14歳以下のチームの監督職に就いた。[2]同年中にユースチームの監督に昇格した。

しかしながら、ノーサンプトンでの職を全うした後、2013年には古巣のクリスタル・パレスの数あるユースチームのひとつの監督に就こうと探してみたが、ノーサンプトンの高校に設立される、サッカーアカデミーに関わることに取って代わられた。2016-17シーズンに、クリスタル・パレスのアカデミーの指導者としてのオファーがあり、現在、アカデミーの監督職にある。

獲得タイトル

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クラブタイトル

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ノーサンプトン・タウン
  • 1986-87
    • フットボールリーグ4部優勝
クリスタル・パレス
アーセナル
マンチェスター・シティ
  • 1998-99
    • フットボールリーグ2部プレーオフ優勝

個人タイトル

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クリスタル・パレス
  • 1991-92
    • クラブシーズンMVP

脚注

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  1. ^ Baskcomb, Julian (ed.) (1997). Manchester City F.C. Official Handbook 1997–98. Leicester: Polar 
  2. ^ McGoldrick joins Cobblers staff”. BBC (5 February 2008). 8 February 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。23 October 2013閲覧。

外部リンク

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