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ロガー・シュミット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロガー・シュミット
SLベンフィカ監督時代 (2023年)
名前
ラテン文字 Roger Schmidt
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1967-03-13) 1967年3月13日(57歳)
出身地 キアシュペ英語版
身長 188cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
0000–1985 ドイツの旗 キアシュペSC
1986–1987 ドイツの旗 RWリューデンシャイト
1988–1990 ドイツの旗 TuSプレッテンベルグ
1990–1995 ドイツの旗 TuSパーダーボルン・ノイハウス
1995–2002 ドイツの旗 SCフェール 208 (53)
2002–2003 ドイツの旗 SCパーダーボルン07 25 (2)
2003–2004 ドイツの旗 SVリップシュタット08 26 (4)
2004–2005 ドイツの旗 デルブリュッカーSC
監督歴
2004–2007 ドイツの旗 デルブリュッカーSC
2007–2010 ドイツの旗 SCプロイセン・ミュンスター
2011–2012 ドイツの旗 SCパーダーボルン07
2012–2014 オーストリアの旗 レッドブル・ザルツブルク
2014-2017 ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン
2017-2019 中華人民共和国の旗 北京中赫国安
2020-2022 オランダの旗 PSV
2022- ポルトガルの旗 ベンフィカ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロガー・シュミットRoger Schmidt1967年3月13日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はSLベンフィカの監督を務めている。

経歴

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プロ選手としての経験はなく、ドイツ3部以上のクラブに所属したことはなかった。

37歳でアマチュアクラブのデルブリュッカーSC監督に就任。同クラブに3年間所属し、ドイツ5部から4部への昇格を果たした。

2007年7月に当時ドイツ4部に所属していたSCプロイセン・ミュンスターの監督に就任。この時点から国際的な車両部品製造企業であるベンテラー社(Benteler International AG)でのエンジニアとしての仕事を辞め、監督業に専念した。

SCプロイセン・ミュンスターの監督としてドイツ4部で優勝し、ドイツ3部への昇格を果たす。

2011年の夏に監督としてFCザンクトパウリに移籍したアンドレ・シューベルトの後釜として当時ドイツ2部に所属していたSCパーダーボルン07の監督に就任。クラブの歴史上最高順位となる5位でシーズンを終えた。

RBザルツブルク監督時代(2012年)

あと1年の契約が残っていたものの、オーストリア・ブンデスリーガの強豪FCレッドブル・ザルツブルクでスポーツディレクターを務めていたラルフ・ラングニックに見出され、2012年6月にSCパーダーボルン07との契約は解消し、FCレッドブル・ザルツブルクの監督に就任した。

2シーズンに渡り監督を務めラルフ・ラングニックの提唱する「8秒ルール」をチームに浸透開花させた。2年目となる2013-14年シーズンではオーストリア・ブンデスリーガオーストリア・カップで優勝、同年のUEFAヨーロッパリーグでラウンド16まで駒を進め「ヨーロッパでも勝てるチーム」に成長させた。ベスト16でバーゼルに敗れたが、スタンダール・リエージュ(2-1、3-1)やアヤックス(3-0、3-1)を破ってのUEFAヨーロッパリーグでの10連勝のインパクトは強く、元オーストリア代表MFのヘルベルト・プロハスカに「オーストリア史上最強のチーム」と評された[1]

2014年1月、プレシーズンマッチでジョゼップ・グアルディオラ監督が率いるFCバイエルン・ミュンヘンと対戦。前年のUEFAチャンピオンズリーグFIFAクラブワールドカップを制したバイエルンを相手に3-0で勝利した。

当時を振り返りジョゼップ・グアルディオラも「2014年の頭、ザルツブルクでロガー・シュミットに敗れたが、それは我々にとって、非常に良い経験だったね。彼が我々に正しい道を示してくれたんだ。常に攻撃的な考えを持つ優秀な監督だよ。ファンにとっても、サッカーにとっても良い」と評している[2]

レバークーゼン監督時代(2015年)

2014-15年シーズンからサシャ・レヴァンドフスキの後任としてドイツ・ブンデスリーガに属するバイエル・レバークーゼンの監督に就任。攻撃サッカーを掲げ、2014-15シーズンのリーグは4位、翌2015-16年シーズンはチャンピオンズリーグ出場圏内の3位でフィニッシュして名声を高めたが、2016-17シーズンは一転して不調に陥り、リーグのボルシア・ドルトムント戦で2-6と大敗した翌日に解任された。

2020-21シーズンからPSVの監督に就任した。2021-22シーズン、決勝でアヤックスを破ってKNVBカップ優勝に導いた[3]

2022年5月18日、SLベンフィカの監督に就任した[4]

監督成績

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2022年5月15日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率 %
デルブリュッカーSC 2004年7月1日 2007年6月30日 99 40 25 34 040.40
SCプロイセン・ミュンスター 2007年7月1日 2010年3月21日 93 44 28 21 047.31
SCパーダーボルン07 2011年7月1日 2012年6月24日 36 18 10 8 050.00
レッドブル・ザルツブルク 2012年6月24日 2014年5月31日 99 68 18 13 068.69
バイエル・レバークーゼン 2014年6月1日 2017年3月5日 128 62 29 37 048.44
北京中赫国安 2017年7月1日 2019年7月31日 83 46 15 22 055.42
PSV 2020年4月28日 2022年5月18日 105 70 18 17 066.67
合計 669 370 145 154 055.31

獲得タイトル

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指導者時代

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デルブリュッカーSC
  • ウェストファーレンリーガ:2005
SCプロイセン・ミュンスター
  • ウェストファリアカップ:2008
レッドブル・ザルツブルク
北京中赫国安足球倶楽部
PSVアイントホーフェン

脚注

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外部リンク

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