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久松真一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久松 真一
人物情報
生誕 大野 眞一
岐阜県稲葉郡長良村
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都帝国大学
学問
学派 京都学派
研究分野 哲学(仏教学)
研究機関 臨済宗大学龍谷大学京都大学
学位 文学博士
影響を受けた人物 西田幾多郎
鈴木大拙
影響を与えた人物 倉澤行洋
公式サイト
久松真一記念館HP
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久松 真一(ひさまつ しんいち、旧字体:久松眞一、1889年6月5日 - 1980年2月27日)は、日本哲学者仏教学者。旧姓は大野。号は抱石庵。

生涯

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出生から修学期

1889年、岐阜県稲葉郡長良村(現・岐阜市)で生まれた。生家は浄土真宗門徒の農家で、幼年時代より真宗の僧侶になることを目指していたが、青年期に科学的知識に接し、従前の「中世的」信仰を棄て、理性の自律に基づく哲学を志した。第三高等学校を経て、1912年京都帝国大学文科大学哲学科に入学。西田幾多郎の哲学、鈴木大拙の禅学に影響を受け、東洋哲学、仏教、日本思想を研究。学問的対象として客観化できない「私といふもの自体の存在」の問題に悩み、1915年、西田の薦めによって妙心寺の池上湘山老師に参禅。直後の臘八大接心(旧暦12月1日から8日の朝まで、昼夜寝ずに座禅すること)において「無相の自己」に目覚めた。

仏教学者として

1919年臨済宗大学(現・花園大学)教授。1929年龍谷大学教授を兼ねる。1939年に主著『東洋的無』を刊行。1941年、京都大学心茶会設立。1944年、京都帝国大学内に座禅と論究の学問と修行の一致(学行一如)を目指す学道道場、FAS協会を設立し、代表を務めた[1]

太平洋戦争後

1946年、母校の京都帝国大学教授に就任。1947年、学位論文『東洋的無の性格』を京都大学に提出して文学博士を取得[2]1953年に京都大学を定年退職後、京都市立美術大学教授を務めた。

1974年に故郷・岐阜市長良福光に移居。「私は死にません」という言葉を残し、1980年2月27日に逝去。

研究内容・業績

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近代日本の代表的な禅・思想家の一人。

著作

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著書
  • 『東洋的無』弘文堂 1939
  • 『起信の課題』弘文堂書房 1947
  • の精神』弘文堂(アテネ文庫)1948
  • 『絶対主体道』弘文堂書房 1948
  • 『人間の真実存』法藏館(新書判)1951
  • 『本當の自己にめざめる』花園大學出版部 1951
  • と美術』墨美社 1958
    • 増補『著作集 第9巻』 法藏館 1996
  • 『総不可道 FAS禅 久松抱石先生提唱』後近代体究所 1980
  • 無神論』法藏館 1981
    • 文庫化 法藏館文庫 2022
  • 『墨海 久松真一の』燈影舎(一燈園)1982
  • わび茶道燈影舎(一燈園)1987
  • 『茶道の哲学』藤吉慈海編、講談社学術文庫 1987
著作集
  • 『久松真一著作集』(全8巻) 理想社、1969-1980
  1. 1巻 東洋的無
  2. 2巻 絶対主体道
  3. 3巻 と創造
  4. 4巻 茶道の哲学
  5. 5巻 と芸術
  6. 6巻 経録抄
  7. 7巻 任運集
  8. 8巻 破草鞋
  • 新版 法蔵館 1994
  • 『久松真一仏教講義』(全4巻) 法藏館 1990-1991
  1. 1巻 即無的実存
  2. 2巻 仏教的世界
  3. 3巻 還相の論理
  4. 4巻 事々無礙
共編著
論文

その他

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  • 2002年に「長良川画廊」において茶人八白庵椿翁と久松真一父子展が開かれた。
  • 岐阜市にある生家は抱石庵(久松真一記念館)として公開されている。

外部リンク

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脚注

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  1. ^ FAS協会
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 藤吉慈海が校訂・解説を加えている。

関連項目

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