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佐久間一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐久間さくま まこと
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生誕 1935年3月18日
日本の旗 日本 神奈川県横須賀市
死没 (2014-07-18) 2014年7月18日(79歳没)
日本の旗 日本 神奈川県
所属組織 海上自衛隊
軍歴 1957年 - 1993年
最終階級 統合幕僚会議議長たる海将
除隊後防衛庁 顧問
財団法人水交会会長
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佐久間 一(さくま まこと、1935年昭和10年)3月18日 - 2014年平成26年)7月18日)は、日本海上自衛官。第18代海上幕僚長、第19代統合幕僚会議議長神奈川県出身。位階従三位

略歴

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1935年(昭和10年)3月、横須賀市に生まれる。父は海軍大佐の佐久間良也(海兵第51期)である。父の転勤により軍港の街を転々とし、戦時中は母の実家のある宮崎市郊外に疎開し、終戦後も宮崎で中・高校生活を送った。高校3年生の時に大阪に引っ越し府立勝山高校に転入し、卒業した。

1953年(昭和28年)4月、保安大学校(後の防衛大学校)に第1期生として入校。卒業後は海上自衛隊に入隊し、幹部候補生学校を経て、1958年(昭和33年)3月、遠洋練習航海に参加。最初の部隊勤務は第1練習隊「なら」通信士であった。防大指導官などを経て第1術科学校幹部専門航海課程に入校。修業後は「あやなみ」航海長として勤務。その後、第2護衛隊群司令部幕僚、統合幕僚会議事務局勤務等を経験し、1974年(昭和49年)3月、佐世保地方隊所属の護衛艦「みくま」艦長に就任した。当時は冷戦時代であり、対馬海峡でのソ連艦艇の監視が大きな任務であった。

その後は主に海上幕僚監部で防衛畑を歩む。防衛課長、防衛部副部長では56中業を手掛け、防衛部長として61中防に携わり、シーレーン防衛やイージス艦の導入に尽力した。その後、幹部学校長佐世保地方総監などの要職を歴任し、18代海上幕僚長に就任。自衛隊史上初めての防衛大学校出身の幕僚長であった。海幕長としてなだしお事件の処理にあたり、1991年(平成3年)4月には自衛隊にとって初の海外実任務であるペルシャ湾に(自衛隊ペルシャ湾派遣掃海部隊を送り出している。その後、第19代統合幕僚会議議長を務め、1993年(平成5年)7月に退官。

2005年6月からは水交会の第13代会長に就任。第15代海上幕僚長だった吉田学から同職を引き継ぎ、こちらでも防衛大学校出身者、かつ帝国海軍に勤務経験のない人物として初の同会会長となった。吉田会長時代の2001年、海上自衛隊退職者の任意団体だった「海上桜美会」が水交会と合併しており、佐久間の会長就任は両団体の統合により実現が可能となった。佐久間は会長職を約3年務め、2008年3月に第20代海上幕僚長だった林崎千明に席を譲って退任した。

年譜

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栄典

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  • 瑞宝重光章 - 2007年(平成19年)4月29日

脚注

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  1. ^ 訃報:佐久間一さん79歳=元統合幕僚会議議長 Archived 2014年7月31日, at the Wayback Machine. 毎日新聞 2014年7月18日閲覧
  2. ^ 『官報』本紙第6360号(平成26年8月25日)

参考文献

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  • 水交誌637号(平成27年新春号)「佐久間元会長を偲ぶ・佐久間一半生記」

関連書籍

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  • 佐久間一『国の守り 読売ぶっくれっと No.53』読売新聞東京本社、2006年2月
  • 佐久間一『佐久間一 オーラル・ヒストリー 上下』防衛省防衛研究所、2007年3月
  • 佐久間一『佐久間一(元統合幕僚会議議長)オーラルヒストリー 上下』近代日本史料研究会、2008年3月
  • 佐久間一編『武力戦の諸相 叢書日本の安全保障シリーズ6』内外出版、2008年6月
先代
寺島泰三
統合幕僚会議議長
第19代:1991年 - 1993年
次代
西元徹也
先代
東山収一郎
海上幕僚長
第18代:1989年 - 1991年
次代
岡部文雄
先代
金崎實夫
佐世保地方総監
第23代:1988年 - 1989年
次代
岡部文雄