コンテンツにスキップ

佐竹義脩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐竹 義脩
佐竹義脩肖像(1880年頃)
生誕 (1854-07-25) 1854年7月25日嘉永7年7月1日
死没 (1893-12-22) 1893年12月22日(39歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1876年 - 1893年
兵科 陸軍歩兵連隊
最終階級 大尉
配偶者 佐竹雅子(離婚)
佐竹ウメ
子女 島津英子
佐竹雄子
墓所 総泉寺
テンプレートを表示

佐竹 義脩(さたけ よしなお、嘉永7年7月1日1854年7月25日) - 明治26年(1893年12月22日)は、日本華族陸軍軍人佐竹氏第31代当主。出羽久保田新田藩(岩崎藩)主・佐竹義諶の長男。初名は義紀。通称は幸之助、亀丸、次郎。官位は従四位下侍従、修理大夫。爵位は男爵

経歴

[編集]

嘉永7年7月1日(1854年7月25日)、出羽国相馬中村藩士・熊川長顕(義諶の初名)の長男として生まれる。

安政4年(1857年9月16日、父・長顕が義脩の伯父に当たる佐竹義核の跡を継ぎ、出羽新田藩主(後に岩崎藩主)となる。しかし、義脩は熊川家に残った。

同年11月9日佐竹義諶は長男・義脩の引き取りを中村藩に申し入れる。同年12月22日、佐竹家入りの儀式を行う。元治元年(1865年)4月7日、伯父で久保田藩佐竹義堯の養子となる。慶応元年(1865年)12月6日、従五位下修理大夫に叙任する。同年12月14日、従四位下侍従に昇進する。

明治5年(1872年8月2日、養父・義堯の隠居により、家督を相続する。明治9年(1876年)2月、陸軍に入り、少尉に任官し、後に大尉にまで昇進する。明治14年(1881年)8月16日、隠居し、養父・義堯に家督を譲る。同年11月22日、秋田藩を離籍、岩崎藩に復籍する。明治22年(1889年)10月26日、男爵となる。

明治26年(1893年)12月22日、死去した。享年40(満39歳没)。

栄典

[編集]

家族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第1892号「叙任及辞令」1889年10月18日。
  2. ^ 『官報』第1898号「叙任及辞令」1889年10月25日。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
佐竹家(岩崎分家)初代
1889年 - 1893年
次代
佐竹義立