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須田頼隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
須田頼隆
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正18年4月24日[1]1590年5月27日
別名 富岡佐渡守
戒名 元寿院殿泰岳真公[1]
官位 佐渡守
主君 二階堂照行盛義
氏族 須田氏
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須田 頼隆(すだ よりたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士二階堂氏の家臣。

略歴

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二階堂照行盛義父子に仕えた。

当初、本丸館[2]を居城として安積郡富岡[3]を所領として富岡佐渡守とも号したが、天文20年(1551年)に笹川城に移り天正18年(1590年)まで安積郡笹川[4]を所領とした。

一方、笹川城主・須田氏は天正16年(1588年)頃より伊達政宗に臣従したようで、『伊達天正日記』『伊達治家記録』にも天正16年から文禄3年(1594年)まで須田佐渡守あるいは笹川佐渡守という名前で記述がある。同じ受領名を称しているが頼隆の子であろうか。

脚注

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  1. ^ a b 『地誌・岩代国安積郡笹川村』
  2. ^ 富岡館。
  3. ^ 福島県郡山市三穂田町富岡。
  4. ^ 福島県郡山市安積町笹川。