高島一岐代
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高島一岐代 九段 | |
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大山康晴(左)とともに(1955年) | |
名前 | 高島一岐代 |
生年月日 | 1916年5月18日 |
没年月日 | 1986年7月29日(70歳没) |
プロ入り年月日 | 1936年(19歳) |
引退年月日 | 1962年(45歳) |
棋士番号 | 19 |
出身地 | 大阪府八尾市 |
所属 |
将棋大成会 →日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 藤内金吾八段 |
弟子 | 高島弘光、東和男、脇謙二 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 高島一岐代 |
順位戦最高クラス | A級(9期) |
2017年8月21日現在 |
高島 一岐代(たかしま かずきよ、1916年5月18日 - 1986年7月29日)は、将棋棋士。大阪府八尾市出身。藤内金吾八段門下。棋士番号19。将棋棋士八段の高島弘光は甥。元指導棋士五段の高島一由岐は長男。
経歴
[編集]1929年、藤内金吾に入門。1936年四段。
1949年八段。1953年に全八段戦優勝。1955年には名人戦七番勝負で大山康晴に挑戦しており、この頃が全盛時であった。1958年度の王将戦で大山康晴に挑戦するも敗退。
1962年にA級在籍のまま引退。1979年九段。1986年に膀胱癌のため死去。
人物
[編集]- 「日本一の攻め」と称された。
弟子
[編集]棋士となった弟子
[編集]名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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高島弘光 | 1962年4月1日 | 八段、タイトル挑戦1回 |
東和男 | 1976年7月16日 | 八段 |
脇謙二 | 1979年7月16日 | 九段、一般棋戦優勝3回 |
(2021年4月1日現在)
昇段履歴
[編集]主な成績
[編集]- タイトル戦登場2回(1955年名人戦、1958年度王将戦)
- 棋戦優勝2回(1953年全八段戦ほか)
在籍クラス
[編集]竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[1]
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竜王戦 出典[2]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1946 | 1 | 六・七段戦3位 | ||||||||||||||||
1947 | 2 | B級5位 | ||||||||||||||||
1948 | 3 | B級 | ||||||||||||||||
1949 | 4 | A 08 | ||||||||||||||||
1950 | 5 | A 05 | ||||||||||||||||
1951 | 6 | B101 | ||||||||||||||||
1952 | 7 | B112 | ||||||||||||||||
1953 | 8 | B104 | ||||||||||||||||
1954 | 9 | A09 | ||||||||||||||||
1955 | 10 | A 01 | ||||||||||||||||
1956 | 11 | A 07 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | B101 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | A 09 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | A 06 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | A 05 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | A 05 | ||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |