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IT-130 (自走砲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

IT-130Istrjebitjel' Tankov-130ロシア語:ИТ-130Истребитель Танков-130)はソビエト連邦で開発されたとされる自走砲[注釈 1]である。

概要

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ソビエト連邦軍T-62の派生型として開発した、とされる車両で、T-54戦車の駆逐戦車型であるSU-122-54(СУ-122-54)と同様、T-62の車体をベースに固定式戦闘室を設け、M-46 52口径130mmカノン砲を戦車砲化したもの[注釈 2]を搭載したものである、とされていた。

T-34SU-85SU-100T-54T-55とSU-122-54の関係と同様に、T-62を対戦車面で補完する車両として1960年代初期に開発・生産され、1960年代中頃から軍直轄の戦車駆逐連隊もしくは戦車旅団に配備された、とされているが、写真も含めて実車が公表されたことは一度もない。ソビエト連邦崩壊後に公表・公開された資料にも「IT-130(ИТ-130)」なる車両は記載されておらず、ソビエト軍の試作車両番号の一覧(いわゆる“オブイェクト番号”)にも該当するものが存在しない上[注釈 3]、試作車を含めた実車も、公開されている限りでは発見されていない。

これらの点から、現在では“IT-130”なる装甲戦闘車両についての情報は別の車両の情報から誤解されたもので、開発計画も含めて実際には存在していない、との分析がなされている[注釈 4]

なお、IT-130については「少数が生産・配備されたが、後に全車が前線部隊より引き揚げられ、武装を撤去して戦車回収車としてT-62を装備する部隊において運用された」「開発作業自体は完了し、少数の試作車が生産されたが制式化されず、生産された試作車は武装を撤去して戦車回収車として運用された」と記述された資料もあり、この戦車回収車型はT-62T(またはIT-130T、もしくはM1977)の名称で記述されており[2][3]、1977年のモスクワ戦勝記念日パレードの際に撮影された写真や映像が存在している。しかし、この際に登場していた車両も、外観を見る限りではSU-122-54より武装を撤去した戦車回収車仕様の派生型であるMTP-3(МТП-3)もしくはTOP(ТОП)であり[4]、IT-130同様にT-62Tについても実在についての確証はない。

実在について

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IT-130についての情報源の一つとして、1978年イギリス亡命したソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の情報将校、ウラジーミル・ボグダーノヴィチ・レズン(亡命後のペンネームとしては“ヴィクトル・スヴォーロフ”の名を用い、この名で著名)によるものがある。レズンは当時としては機密の壁に阻まれて謎の多かったソビエトの軍事情報について西側に数多くの情報を提供したが、彼の提供した情報の中に、ソビエト軍に配備されているという装軌式対戦車自走砲(駆逐戦車)の情報があり[1][5][4]、レズンはこれら車両について以下のように説明したとされる。

"Любой мотострелковый полк (в СССР, но не за границей) имеет одну батарею тяжёлых штурмовых орудий. В 1950-х годах мощное орудие Д-74 (122-мм) смонтировали на шасси танка Т-54, затем пушку М-46 (130-мм) установили на шасси танка Т-62. Все полки без исключения имеют тяжёлые штурмовые орудия таких образцов. Они хранятся десятилетиями и никогда не видят света дня. Их расчёты тренируются на танках Т-54 и Т-62. Иногда им показывают прицел штурмового орудия. Они знают тактику его применения и знают, как обслуживать двигатель. Если начнётся война, их командиры сообщат, что вместо танков они получат похожее, но более мощное и бронированное оружие"
「ソビエト軍の機械化歩兵連隊にはみな一個連隊につき一つの重突撃砲中隊が編制されている(ただし、ソビエト国内に駐屯する部隊のみに限られる)。1950年代には、強力なD-74(122mm)砲がT-54戦車の車体に搭載され、その後、M-46(130mm)砲がT-62戦車の車体に搭載された。全ての機械化歩兵連隊付き重突撃砲中隊には例外なくこの重突撃砲が配備されている(以下後段略)」[注釈 5][5]

実際にはこれらは前者がSU-122-54 自走砲、後者がIT-1(ИТ-1)ロケット駆逐戦車のことであったと推定されるが、レズンによって伝えられた情報は彼の誤解及び推定を混じえたものであったため、実際の両車両のものとは、特に「T-62戦車の駆逐戦車型」については全く異なっていたとみられる。また、SU-122-54 / IT-1とも、実際には配備された部隊は少数に限られており、「ソビエト本国駐留の機械化歩兵連隊にはみな一個重突撃砲中隊が編制されている」「全ての機械化歩兵連隊付き重突撃砲中隊に例外なく配備されている」ということもなかった。

参考文献

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  • 斎木伸生:著『ビジュアル戦車発達史 異形戦車 ものしり大百科』(ISBN 978-4769808435(新装版:ISBN 978-4769814993) 光人社 1998/2011年
  • PANZER臨時増刊 WAR MACHINE REPORT No.27 第二次世界大戦後のソ連軍戦車』(ASIN B00GMPEW1U)アルゴノート社 2013年

脚注・出典

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注釈

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  1. ^ ソビエト軍には第2次世界大戦時のドイツ軍のような「“砲塔を持たず、重装甲の戦闘室に対戦車威力を重視した砲を砲郭式に搭載した戦闘車両”を指すものとしての「駆逐戦車」という装甲戦闘車両の区分はないが、「Истребитель Танков」とはロシア語で“駆逐戦車”を意味するため(ドイツ語の“jagdpanzer”と同義)、「駆逐戦車」と分類/呼称することが正しいと思われる。
  2. ^ 搭載砲について、この時期に車載対戦車砲として選定するなら、IS-7(ИС-7)重戦車他に搭載されたS-26、オブイェークト279重戦車他に搭載されていたM-65といった海軍砲の発展型の戦車砲を用いるのが自然で、改めて野戦カノン砲から戦車砲を開発する必然性が希薄であり、IT-130の実在性についての疑問点の一つとして挙げられていた。
  3. ^ なお、ソビエトにおいて開発された装軌式自走砲で130mmカノン砲を搭載した車両としては、T-100多砲塔重戦車の車体にB-13 艦砲を搭載したSU-100Y、S-26 戦車砲をISU-152/122自走砲と同じ車体に搭載したISU-130(ИСУ-130(Объект 250) がある。
  4. ^ 一般的に知られている「IT-130」なる車両の画像は、1983年に発行された『Soviet Assault guns』(著: Steven Zaloga)に掲載されていたものが原典であるが、この書籍に掲載されていた画像は著作者の作成した想像図である[1]
  5. ^ 日本語訳は当項目の執筆者 / 編集者による

出典

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  1. ^ a b ACES.GG|Ghe|6-04-2015|IT-122 и IT-130. Советские ПТ-САУ, которых не было ※2021年7月21日閲覧
  2. ^ U.S. Army Field Manual FM 100-2-3, p.398-399, "Armored Recovery Vehicle T-62-T"PDF ※2021年7月21日閲覧
  3. ^ JED>T-62T ARMOURED RECOVERY VEHICLE ※2021年7月21日現在非一般公開ページ
  4. ^ a b retired MAJ James M. Warford|Armored Vehicle Development Behind the Curtain: the Secret Life of the Soviet SU-122-54 Assault GunPDF ※2021年7月21日閲覧
  5. ^ a b ymorno.ru|DOMINIK|5.08.2019|Future Soviet Tank: как США придумывали танки для СССР ※2021年7月21日閲覧

関連項目

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外部リンク

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