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高野參詣日記

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高野參詣日記

逍遙院內府實隆公


四月の頃。住吉天王寺にまうづべきこゝろざしありて。十九日伏見へまかりて。般舟院にしばらくやすみて。船のことなどもよほしおほせて。この津より船出して。爰かしこ逍遙し侍るに。鵜殿三嶋江などいふ所などいとおかしく見え侍り。えなみとかやいふわたりにて。夕立一とをりして。かいの雫もいとたえがたくなん。船のうちかくはるかなるべしとおぼえず。なにのまうけもなくさうしかりしに。天昭庵とかやいふ所よりさかづき求出てもてきたれる。興あることになむ。かくてふしまちの月さしあがりて。みじか夜ものこりなきほどに。おさかといふところにいたりて。かねてたのめをきし人たづね侍しにいとかひしくしるべして。よしあるやどりにみちびきいれて。とかくいたはり侍りしに。をの舟のうちのくるしさをも忘れはてぬ。つとめてこのところの本堂みるベきよし申せしかば。こゝかしこみめぐらすに。心ことばもをよばざる莊嚴美麗のさまになむ侍りし。かくて和泉の堺南庄の光明院よりむかへの輿などをくられしかば。やどりを出てまかりたちしに。堺のものとて人々〈光明院檀那〉あまたむかへにきたれり。まづ天王寺にまうでたりしに。石のとりゐのもとに光明院阿彌陀寺などむかへにとて出きたれり。すなはちあひともなひて金堂にのぼれり。御舍利を頂戴し。おなじく日本にはじめてわたりし大般若經一卷。夢殿より持來の法華經など拜見し奉る。緣起住僧よみ申す。しづかに聽聞して隨喜の淚をさへがたし。法華經をおがみて。心の中におもひつゞけ侍りし。

 むは玉の夢殿よりやみぬ世をもこゝにつたへし法の言葉

諸堂巡禮。寶藏にて靈寶どもことく拜見。宿緣あさからずありがたくおぼえ侍り。聖靈院にて御影どもおがみたてまつりて。おくのかたみめぐらし侍れば。淨土曼陀羅くち損じてかたばかりなり。これなむ西山上人不斷念佛勸行ありし所なるベきと。往事を感じてなみだをながし侍りぬ。龜井の水を掬て。

 まれにきて結ふ龜ゐのみつからやうききにあへる類なる覽

一和尙みちに出あひて。五首歌奉納し侍りしことをよろこび申され侍り。かくてなにがしととやの坊にてさかづきすゝめて。人々すこしうちやすみて。これより住吉社にまうでて御神樂まいらする。十首歌奉納せしめ。ところどころふしおがみて。神宮寺にまうでて。さらに御前の橋より松原に出て。濱のわたり逍遥して。

 このまゝに住よしといひて故鄉は忘れ貝をもいさや拾はむ

和泉の堺にまかりこゆとて。みちすがらの名ある所どもいひつくすベくもあらぬ見ものなり。霰松原といふ所をすぐとてみれば世のつねの松のはにも似ず。吹からしたるやうにみえ侍れば。

 木枯の吹しほる色とみるはかりなにあらはるゝあられ松原

南庄光明院にいたりて。さまのいたはりもてなされ侍り。夢庵にをとづれしかば。やがて尋ねきたり。夕つけてまたかの寄宿の寺へもまかり侍り。明る日は光明院より夢庵をも招請して齋をまうけらる。

廿二日。高野に參詣のことおもひ立て。宗珀といふものをしるベとたのみてまかりたち侍り。さのといふ處に輿かきすへたるほど。市人さはぎたるイをみて。

 いつみなるさののいち人たち騷きこの渡りには家も有けり

大島の社信田杜などいふところどもうち過て。いづくの程にか。やしろのあるまへに輿かきすへたる所へ。根來よりのむかへとて。馬二疋ひかせて。人あまたはしりきたりて。食籠錫のものなどもたせたり。おもひがけずなむおぼえ侍し。かの寺の十輪院といふは。當寺一山の學頭。碩學の聞えありとなむ。坊にはきのふ灌頂を行ひて後朝のいとなみさはがしければ。弟子の實相院といふがもとにとゞむべきよしの案內となむ。とかくして根來にいたりたりしに。衆徒十人あまりたちつらなりて。むかへ入べきのよしなり。たびのやつれ思ひがけぬことに侍れば。さまに色代しかへして。輿ながら大門のうちまでのたりし。後にきけば。をるベかりける所に侍りとなむ。かくてすぐに諸堂巡禮し侍り。山中みるもののごとくにて。かたはらいたさいふばかりなし。本堂傳法院にておもひつゞけ侍し。

 高野山わかれてこしもことさらに法を傳へむよゝの爲かも

錐もみ不動を拜見して。

 うこきなき身を分てける姿そと血の淚をもなかしてそみる

覺鑁上人の詠歌に。夢のうちはゆめも現も夢なれはさめなはゆめもうつゝとをしれといへる。續後拾遺集に入るにや。思ひいでられて。

 いつさめむうつゝもしらす七十大永三のけふたにおなし夢の世中

實相院といふ所につきて。これかれうちやすみゐたる程に。初夜のかねをきゝて。

 朝は又いそきて出むかりまくらねよとねころの鐘聞ゆ也

廿三日。雨氣ありと人々申せしかども。いそぎたちて。粉川の施音寺にまうでておがみ侍りければ。堂のさまなど莊嚴巍々として殊勝きはまりなくなむ。本尊は十一面の千手觀音となむ。額の文字施音の二字は常の文字にて。寺といふ一字なん古文に侍り。誰人の筆にか侍る。すぐれたる見物に侍り。御前に念誦のほどおもひつゞけ侍りき。

 法のためこのみはほねをくたきても粉川の水の心にこすな

 しるへせし紅葉の洞の月もありとたのむ光ややみを照さむ

これは玉葉にこのてらの觀音の御歌とていれることあるをおもひいでてよめる。

紀伊川をわたるとて。

 水上はよしのと聞はきの川のなみの花まてあかぬ色かな

河を過てむかひの河原にこしかきすへて。をのをのあまづつみなどする程。

 こゝよりそ雨つゝみするかり衣きの川上のあさわたりして

ほとゝぎすのこゑをこゝにてはじめてきゝ侍りしに。輿は雨皮してつゝみめぐらして。いづかたもみえざりし。ねむなく。

 いく聲もたゝこゝになけ郭公いつれの山とさしてみましを

此道ことのほかとをくて。十八町の坂は四十八町よりも一里のとをき所どもありて。俗に結解なしとかやいふとて。周桂法師がたはぶれに。

 雨けとはみつゝも出てぬれにけり結解なしなるけふの道哉

かくて山中にいたりて。雨はなはだしく風はげしくて。えゆきやらず谷より吹のぼるかぜ身をくだきて。さらに一あしもすゝみがたきよしを申て。山のうへに輿かきすへてありしかば。

 老の坂くるしきをこそしのきしになと雨風の身をくたく覽

からうじて風すこしやみしかば。高野の御山にのぼりつきて。一心院の奧坊といふにいたりて。人々やすみぬるほど。郭公のしきりに聞えしかば。

 高野山佛法僧のこゑをこそ待へき空に鳴ほとゝきす

廿四日。草鞋をつけて諸堂順禮し侍れば。大塔は柱ども立。心柱などきりて。造作のあらましどもなり。金堂はかたのごとくとりたてたるさまなるに。三鈷の松もむかしのは燒て。その種おひとていがきしめぐらしたるをみて。

 今はそのまつ曉やちかからむ千とせふるきも生かはりけり

奧院へまうづるみちすがら。きゝをきしにもおもひやりしにも過たるあはれさ。ありがたさになむ。

 ふりそふや天津空なき雨もたゝ袖の上なるけふの山ちに

御廟の前の堂。〈今度供養の堂なり。〉燈明そのかずなくひかりかゞやきてえもいはず。住僧いであひて大師御所持の鈴杵。水精の御念珠など頂戴せさせられ侍りき。

 あふきつゝみるにいよ高野山光出へきむろのとほそか

內よりたまはりし御爪のきれをおさめたてまつる。裏紙に書付し。

 爪の上の土よりまれの身をうけて佛の道は手にとりつへし

この御ため別に卒都婆たてさせ侍り。そのほかはかなき卒都婆あまたたてさせ侍りき。人々髮をおさむる裏紙に。

 むは玉のその黑髮の一すちにやみちをなかく皆はるけてよ

みづからのとしごろおちたる齒ども。とりをかせたる。二は觀音の像あたらしく造りたてさせ侍るに。腹身にし奉りて。のこり廿あまり侍るをおさむとて。

 いかはかり法を譏りし報とかおち盡しけるはつかしのみや

 よしあしの萬をかけしくちのはの果は我身を捨てさりつる

還向の道空はれて日のひかりあきらかなりしかば。

 雲きりのまよひも消て出る日やけふの祈を空にうく覽

廿五日。有明の月の出たるをみて。

 高野山この曉の月たにも待いつる程そひさしかりける

宿坊をいづとてかきつけ侍し。

 思ひいりし一心のおくをゝきて歸らん塵の世をいかにせん

かくて根來の十輪寺につきて侍りしに。夜に入て講問をこなふを聽聞して。

 くるしくも岩ね松かねこし道を忘れはてぬる法の庭かな

廿六日。いましばしもとゞまりて。これより和歌吹上も見侍れかし。そのしるベ侍れば。人をはしらせて申侍るベし。又連歌も一座などさまざまとゞめ申せしかども。えざらぬこととて立出侍るほどに。發句とてしきりにこひ侍しかば。筆にまかせて。

 ほとゝきすなくねころなるみ山かな

かくてさ野といふところのすこしみちよりは入たるかたへ。宗珀しるべして。ひるのやすみにかいつものなどとゝのへたるもめづらかになむ。高師濱の松原の下。天神の社の前に輿をたてて。

 袖のうへに松吹風やあたなみのたかしの濱のなをも立らん

くれにせまりて堺にかへりつきぬ。廿七日はすこしうちやすみぬれば。宗仲が寮にて一盞など侍りき。

廿八日は阿彌陀寺へ招請ありしかば。まかり向て大師の御作の辨才天など拜見。たうとくなん。近き寺の風呂に入て。夕つけで歸るほど。堺の濱見めぐりて。光明院にかへりしかば。宗碩京よりまうできて。歸京の道のことども申とのへぬるよし申侍る。いとうれしくなむ。

廿九日。高野參詣の前より廿首題をくばりたりしを。けふ夢庵にてとりかさぬベきよしありしかば。かしこにまかりて侍りしに。歌舞にをよびてその興あさからず。

  旅宿郭公

 いさといひて都のつとに草枕さそはまほしき子規かな

  江上眺望

 漕かヘり入江の船の夕波にさかひしらるゝをのかうら

  寄杣木但この歌宗碩に遺會書之了。

 みや木引聲に答ふる山ひこも我うちわひてなくはしらすや

五月朔日。光瑱といふもの連歌興行すベきよししきりに申侍しかば。光明院にて一座ありしに。

 濱松何路の名にやこたへしほとゝきす

 みしか夜おしき浦なみのこゑ

 すゝしきを光に月は秋立て

二日。堺をたちてすみよしにまうでて。御神樂まいらせておもひつゞけし。

 神も又まつとしそ思ふすみのえや立返るけふの浪の白ゆふ

天王寺にまうでて。いさゝか心ざしの御あかしなど又たてまつらせ侍りし龜井の水にて。

 後前の契りもしるしむすひあくる龜井の水の深き心は

西門の念佛堂にて。武庫山出現の彌陀三尊。太子の御筆いまに儼然たり。もろこしよりわたせる善導大師等身の御影もこのところに眼精誠生身にむかへるがごとし。此堂になむ西行法師が座もありけるとかや。一とせの地震にくだけうせぬるよしこたへ侍り。あはれなる事也。此本尊しづかに拜見して。

 うつしとめてやみをそ照す玉はやすむこの山より出し光は

爰にて堺よりの衆みないとまごひし侍りしを。なをかう津といふところまでをのしたひまうでて。かしこにて光明院ひるのかれいひなどまうけて。これよりかへられ侍りき。渡邊より能勢源五郞輿馬などむかへにをこせてこゝより船にのりうつりて漕出るほど。能因法しが雲ゐにみゆる伊駒山もおもひいでられ侍り。樓の岸などいふもこゝといふ所なり。大江殿のあととて今も松のみどりにみえ侍り。

 名にたてるその世のまゝか尋はや大江の松のしる人も哉

ながらのわたりすぎぬる程。心地わびしくてたづねもみず。過てのちなむかし。そこと申せしかば。

 橋柱ふりぬる跡もとふへきを過しなからにそれと見さりき

暮かゝるほど芥川の善住寺といふ所の塔頭につきて。明る日出たちしに。雨ふりていとわびし。水無瀨にまかり御影堂に參りて。しばらく念誦して。それより都へをもむきて。さるのをはりばかりにこの蓬屋にかへりつきぬ。


この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。