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原井和也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原井 和也
マツゲン箕島硬式野球部 助監督 #87
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県日高郡由良町
生年月日 (1968-06-17) 1968年6月17日(56歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1995年 ドラフト5位
初出場 NPB / 1996年9月6日
最終出場 NPB / 2004年5月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

原井 和也(はらい かずや、1968年6月17日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手内野手、右投右打)、コーチ等の野球指導者。

経歴

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プロ入り前

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箕島高時代は、1年生の秋から1番遊撃手をつとめ、3年生時は遊撃手と兼任で救援投手も務めていた。その3年時は夏の和歌山県大会決勝の対桐蔭高校戦でリリーフに失敗し、甲子園出場を逃す。

高校卒業後、社会人野球松下電器に入部。同期に水本勝己潮崎哲也がいた。1990年にはアジア競技大会の日本代表に選出されている。

1992年第63回都市対抗野球大会において、1回戦の大昭和製紙北海道戦で1試合3本塁打を記録している。

1995年プロ野球ドラフト会議で高校の先輩である東尾修監督の西武ライオンズから5位指名を受け入団。潮崎と再びチームメイトとなった。

プロ入り後

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1年目は4試合の出場にとどまったが、2年目の1997年には外野手にも挑戦。その結果スタメン出場が増加し、93試合に出場。しかし翌年以降は控えとしての出場が多くなる。

2002年オフ、千葉ロッテマリーンズへ移籍。移籍1年目には守備固めを中心に82試合に出場したが、翌2004年5月3日のオリックス・ブルーウェーブ戦で谷佳知の放ったショートゴロが顔面を直撃し骨折。負傷交代となり、結果的にこれが現役最後の一軍での試合出場となった。

2005年10月4日、戦力外通告を受け、現役を引退。

引退後

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2006年GyaOのマリーンズ中継の解説などを担当。その後、ロッテと提携する中国野球リーグ中国ホープスターズに選手兼任コーチとして竹清剛治とともに派遣される。

2007年、古巣・西武の1軍守備走塁コーチ補佐に就任。しかしその年のチーム低迷の責任を取る形で、この年限りで解任された。翌年以降は西武主催の少年野球教室に講師として参加。

2011年、社会人野球・クラブチームNOMOベースボールクラブのコーチとして所属していたが同年で退団。北海道で開催された野球教室に理事長の野茂英雄と共に参加するなどしていた。

2012年、地元・和歌山県唯一の社会人野球チームである和歌山箕島球友会のコーチに就任。

2020年Honda硬式野球部のコーチに就任[1]

2022年よりマツゲン箕島硬式野球部に復帰し、助監督に就任。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1996 西武 4 8 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 1 1 .000 .143 .000 .143
1997 93 159 127 27 34 4 4 2 52 10 11 2 10 1 20 0 1 27 4 .268 .369 .409 .778
1998 39 34 29 5 6 2 1 0 10 2 2 0 2 0 3 0 0 5 1 .207 .281 .345 .626
1999 78 111 92 14 20 3 1 0 25 4 5 4 9 0 9 0 1 12 1 .217 .294 .272 .566
2000 21 32 28 2 5 0 1 0 7 1 1 1 2 0 2 0 0 5 0 .179 .233 .250 .483
2001 62 118 102 11 25 4 0 0 29 2 3 0 7 0 9 0 0 19 5 .245 .306 .284 .590
2002 25 16 11 3 2 0 0 0 2 0 0 0 3 0 2 0 0 1 2 .182 .308 .182 .490
2003 ロッテ 82 54 44 12 11 3 2 0 18 5 2 1 4 1 5 0 0 6 2 .250 .320 .409 .729
2004 8 2 2 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 1.000 1.500
通算:9年 412 534 441 74 104 17 9 2 145 24 24 8 38 2 51 0 2 76 16 .236 .317 .329 .646

記録

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NPB

背番号

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  • 30 (1996年 - 1999年)
  • 6 (2000年 - 2002年)
  • 53 (2003年 - 2005年)
  • 87 (2007年)

脚注

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  1. ^ Honda・岡野監督が退任へ 後任は開田コーチ 元西武・原井氏を招へい”. スポーツニッポン (2019年12月1日). 2020年6月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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