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BNW

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビワハヤヒデ
ナリタタイシン
ウイニングチケット

BNWとは、1993年中央競馬クラシック三冠路線において、ライバルとして争った3頭の競走馬ビワハヤヒデBiwa Hayahide)、ナリタタイシンNarita Taishin)、ウイニングチケットWinning Ticket)の総称[1]

結果として、ナリタタイシンが皐月賞を、ウイニングチケットが日本ダービーを、ビワハヤヒデが菊花賞をそれぞれ分け合って勝利した。この年のJRA賞最優秀4歳牡馬にはビワハヤヒデが選出されている。古馬となってからは、ウイニングチケットやナリタタイシンが成績を残せない一方、ビワハヤヒデが天皇賞(春)宝塚記念を制し、JRA賞最優秀5歳以上牡馬に選出されるなどワンサイドの活躍を見せるようになった。最終的に3頭とも屈腱炎により引退し、種牡馬となるも3頭とも顕著な成績を残すことはなかった。

経緯

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それぞれの出自

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ビワハヤヒデは9月の新馬戦でデビューし、2着に10馬身以上の大差をつけて勝利[2][3]。続くもみじステークス、デイリー杯3歳ステークスではレコードを記録しての勝利を飾った[4]朝日杯3歳ステークス共同通信杯4歳ステークスでは2着に敗れるも[5][6]若葉ステークスでは2馬身差で楽勝し[7]、デビューから6連続連対(うち4勝)で皐月賞に臨んだ[1]

ウイニングチケットは初戦の芝1200m新馬戦で5着となるも[8]、距離延長した次走の芝1700m新馬戦で勝利を収める[9]。その後は葉牡丹賞[10]ホープフルステークスを勝利し[11]皐月賞トライアルである弥生賞もナリタタイシンを押さえ1着となり[12]、4連勝で皐月賞に臨んだ[1]

一方、ナリタタイシンはデビューから2戦目で勝ち上がり[13]、きんもくせい特別や福島3歳ステークス、千両賞に出走するが勝ちきれなかった[14][15][16]。重賞初挑戦となったラジオたんぱ杯3歳ステークスで2勝目を挙げるが[17]シンザン記念ではアンバーライオンに[18]、弥生賞では前述のウイニングチケットにそれぞれ敗れ2着と勝ちきれないレースを続け[12]、8戦2勝の成績で皐月賞に臨んだ[13]

皐月賞

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第53回 皐月賞中山・芝2000m)
着順 馬番 競走馬名 騎手 タイム 着差 単勝オッズ 人気
1着 14 ナリタタイシン 武豊 2:00.2 09.2 3
2着 18 ビワハヤヒデ 岡部幸雄 2:00.3 クビ 03.5 2
3着 1 シクレノンシェリフ 松永幹夫 2:00.5 1.1/4 16.8 4
4着 4 ウイニングチケット 柴田政人 2:00.6 1/2 02.0 1
天候:晴、馬場状態:良 (出典:[19]

クラシック初戦・皐月賞では、ウイニングチケット(柴田政人鞍上)が単勝2.0倍の1番人気に推され、その次にビワハヤヒデ(岡部幸雄鞍上)が単勝3.5倍の2番人気、ナリタタイシン(武豊鞍上)が少し離れた単勝9.2倍の3番人気に推された[1][19]

ビワハヤヒデは先行集団前めにつけ、ウイニングチケットは中団後ろから徐々に進出、ナリタタイシンは最後方の位置につけた[19]。最終直線では、折り合いを欠いたウイニングチケットをビワハヤヒデがかわして先頭に立ったが、大外から最後方につけていたナリタタイシンが急襲、ゴール直前でビワハヤヒデをかわしクビ差の勝利を収めた[1][19][20]。ウイニングチケットは5位入線したが、ガレオンがステージチャンプに対する進路妨害で8位に降着したため4着となった[19][20]

「BNW」形成

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1993年の牡馬クラシック路線はビワハヤヒデとウイニングチケットの2強争いだと考えられていたが、実際はその2頭を後方一気で突き抜けたナリタタイシンが勝利したため、皐月賞直後から3頭を3強とする見方が広がった[1][21]。3頭はそれぞれのイニシャルをとって、「BNW」と呼ばれるようになった[1][22]

日本ダービー

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第60回 東京優駿東京・芝2400m)
着順 馬番 競走馬名 騎手 タイム 着差 単勝オッズ 人気
1着 10 ウイニングチケット 柴田政人 2:25.5 3.6 1
2着 7 ビワハヤヒデ 岡部幸雄 2:25.6 1/2 3.9 2
3着 1 ナリタタイシン 武豊 2:25.8 1.1/4 4.0 3
天候:曇、馬場状態:良 (出典:[23]

クラシック第2戦・日本ダービーでは、ウイニングチケットが前走に続き1番人気、続いてビワハヤヒデ、ナリタタイシンと、前走・皐月賞と同じ人気順に収まったが、単勝オッズはそれぞれ3.6倍、3.9倍、4.0倍と拮抗し「三強対決」の様相を呈した[1][21][23]

ビワハヤヒデとウイニングチケットは中団、ナリタタイシンが最後方につけた[23]。最終コーナーでビワハヤヒデは荒れた内ラチを避け外を回したが、ウイニングチケットは他馬が避けた内側の経済コースを通り一気に先頭に立った[1][21]。最終直線でビワハヤヒデは激しく食い下がり、半馬身差まで差を詰めるが届かず2着[1][23][24]。外から追い込んだナリタタイシンが3着に入り、人気順通りの着順に収まった[1][23][24]

菊花賞

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第54回 菊花賞京都・芝3000m)
着順 馬番 競走馬名 騎手 タイム 着差 単勝オッズ 人気
1着 7 ビワハヤヒデ 岡部幸雄 R3:04.7 02.4 1
2着 15 ステージチャンプ 南井克巳 03:05.6 5 33.5 9
3着 9 ウイニングチケット 柴田政人 03:05.7 1/2 02.8 2
17着 18 ナリタタイシン 武豊 03:14.1 大差 11.1 3
天候:曇、馬場状態:良 (出典:[25]

夏が明け、ビワハヤヒデは菊花賞トライアルの神戸新聞杯を、ウイニングチケットは同じく菊花賞トライアルの京都新聞杯をそれぞれ勝って菊花賞へ臨んだ[26][27]。一方、ナリタタイシンは7月の高松宮杯で2着となった後[28]、運動誘発性肺出血を発症し、体調不十分のままぶっつけで菊花賞に出走した[1][29]。ビワハヤヒデが単勝2.4倍の1番人気、ウイニングチケットが僅差の単勝2.8倍の2番人気、大きく離されナリタタイシンが単勝11.1倍の3番人気に推された[25]

ビワハヤヒデは先団、ウイニングチケットは中団、ナリタタイシンは最後方からレースを進めた[25]。最終コーナーで先頭に立ったビワハヤヒデは最終直線でそのまま後続を突き放し、2着のステージチャンプに5馬身差をつけ、独壇場でのレコード勝ちを収めた[1][25][注釈 1]。ウイニングチケットが3着に入った一方、ナリタタイシンは17着と惨敗した[1][25][注釈 2]

その後

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その後、ウイニングチケットはジャパンカップに出走。レガシーワールドコタシャーンに続く3着に入着する[31]

有馬記念には、ビワハヤヒデがファン投票第1位で、ウイニングチケットがファン投票第2位で出走[22][32]。ビワハヤヒデは初めての古馬戦ながら1番人気に支持され[22][32][33]トウカイテイオーの2着となった[33]。一方ウイニングチケットは道中折り合いを欠き、直線で脚を使えず11着に大敗した[29][33](競走の詳細については第38回有馬記念を参照)。

ビワハヤヒデは菊花賞勝利に加え、デビューから11連続連対するなど安定した成績が評価され、JRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬に選出された[22][34][35]日本中央競馬会の機関紙『優駿』で発表された1993年の「フリーハンデ」では、ビワハヤヒデが64キロ、ウイニングチケットが63キロ、ナリタタイシンが61キロで、4歳馬のトップ3と評価されている[29]

年が変わり1994年、ビワハヤヒデは京都記念から始動しこれを圧勝すると[36]天皇賞(春)宝塚記念と春のGI競走を連勝[37]。ナリタタイシンは目黒記念を勝ち[38]、天皇賞(春)でビワハヤヒデと対戦するも1馬身4分の1の差で2着と敗れている[39][40]。一方ウイニングチケットは体調不良で上半期のレースをすべて回避、高松宮杯に出走するもナイスネイチャの5着に敗れた[41]

オールカマーではビワハヤヒデとウイニングチケットが対戦、ビワハヤヒデが2着のウイニングチケットに1馬身4分の3の差をつけて快勝[42]。これがBNW同士の最後のワンツーとなった。

その後、ビワハヤヒデとウイニングチケットは天皇賞(秋)に出走するもそれぞれ5着と8着に敗れ[43]、どちらも競走後に屈腱炎を発症していることが判明[44]。競走後にそろって引退が発表された[45]。ナリタタイシンは相次ぐ故障によって5歳秋のレースを全回避[13][44]。1年の休養ののちに宝塚記念に出走するが16着のシンガリ負けを喫し引退した[44][46](競走の詳細については第36回宝塚記念を参照)。ビワハヤヒデは春のGI2勝が評価され、1994年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬を受賞している[35][45]

引退後は3頭とも種牡馬入りした。うちウイニングチケットのみは唯一中央重賞勝ち馬を出したが[47][注釈 3]、ほか2頭は顕著な成績を残すことなく種牡馬を引退[48][49]。ナリタタイシンは2020年4月13日老衰[50]、ビワハヤヒデは同年7月21日に同じく老衰で[22][51]、そしてウイニングチケットは2023年2月18日疝痛で死亡した[52]

参考文献

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  • 日本中央競馬会『優駿』1994年2月号。 
  • 吉沢譲治『最強馬伝説』文藝春秋、1997年。 
  • 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』産経新聞社、2001年。 

脚注

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注釈

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  1. ^ 前年の菊花賞でライスシャワーが記録した芝3000mの日本レコード(3分5秒0)を0秒3更新した[1][30]
  2. ^ レース中に心室細動を発症したが競走中止にならず、ナリタタイシンから約30秒遅れてゴールしたネーハイシーザーを除けば最下位であった[25]
  3. ^ フェアリーステークスを制したベルグチケットやいちょうステークスを制したサンヴァレーを輩出した[47]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o JRA ナリタタイシン、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ「BNW」は何故ファンに愛されたのか。天皇賞・春(G1)27年前の阪神開催は「3強対決」の最終章”. GJ. サイゾー (2021年4月26日). 2021年7月29日閲覧。
  2. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、pp.89-90。
  3. ^ 3歳新馬”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  4. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、p.13。
  5. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、pp.22-23。
  6. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、pp.88-89。
  7. ^ 若葉ステークス”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  8. ^ 3歳新馬”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  9. ^ 3歳新馬”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  10. ^ 葉牡丹賞”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  11. ^ ホープフルステークス”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  12. ^ a b 第30回報知杯弥生賞”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  13. ^ a b c ナリタタイシン”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  14. ^ きんもくせい特別”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  15. ^ 福島3歳ステークス”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  16. ^ 千両賞”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  17. ^ 第9回ラジオたんぱ杯3歳S(G3)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  18. ^ 第27回日刊スポシンザン記念(G3)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  19. ^ a b c d e 第53回皐月賞(G1)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  20. ^ a b 1993年3回中山8日(4月18日)10R 第53回皐月賞(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  21. ^ a b c JRAビワハヤヒデ死去 ウイニングチケット、ナリタタイシンら「(新)平成3強」のクラシックは伝説へ”. GJ. サイゾー (2020年7月21日). 2021年7月29日閲覧。
  22. ^ a b c d e 菊花賞などG1・3勝ビワハヤヒデ、30歳で死ぬ ナリタタイシン、ウイニングチケットと3冠分け合った「BNW」”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2020年7月22日). 2021年7月30日閲覧。
  23. ^ a b c d e 第60回東京優駿(G1)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  24. ^ a b 1993年3回東京4日(5月30日)9R 皇太子殿下御成婚奉祝東京優駿(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  25. ^ a b c d e f 第54回菊花賞(G1)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  26. ^ 第41回神戸新聞杯(G2)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  27. ^ 第41回京都新聞杯(G2)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  28. ^ 第23回高松宮杯(G2)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  29. ^ a b c 『優駿』1994年2月号、p.211。
  30. ^ 1993年6日京都2日(11月7日)10R 第54回菊花賞(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  31. ^ 1993年5回東京8日(11月28日)10R 第13回ジャパンカップ(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  32. ^ a b 吉沢(1997)p.89
  33. ^ a b c 第38回有馬記念(G1)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月29日閲覧。
  34. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、p.9。
  35. ^ a b JRA賞 バックナンバー”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  36. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、p.26。
  37. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、pp.40-43。
  38. ^ 第108回目黒記念(G2)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  39. ^ 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』、pp.42-43。
  40. ^ 1994年4回阪神2日(4月24日)10R 第109回天皇賞(春)(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月30日閲覧。
  41. ^ 第24回高松宮杯(G2)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  42. ^ 第40回産経賞オールカマー(G3)”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  43. ^ 1994年4回東京8日(10月30日)10R 第110回天皇賞(秋)(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  44. ^ a b c 三好達彦 (2021年7月10日). “【名馬列伝】ダービーを勝つために生まれた”幸福の使者”。ウイニングチケットと好敵手たちの激闘録”. THE DIGEST. 日本スポーツ企画出版社. 2021年7月29日閲覧。
  45. ^ a b 『週刊100名馬 Vol.29 ビワハヤヒデ』 p.11。
  46. ^ 1995年1回京都8日(6月4日)10R 第36回宝塚記念(GI)”. 日本中央競馬会. 2021年7月29日閲覧。
  47. ^ a b ウイニングチケットが種牡馬引退”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2005年9月17日). 2021年7月30日閲覧。
  48. ^ 菊花賞馬ビワハヤヒデが種牡馬を引退”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  49. ^ 93年皐月賞馬ナリタタイシン逝く けい養先の高橋代表「天寿全うできたと思う」”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年7月30日閲覧。
  50. ^ ナリタタイシン号が死亡”. 日本中央競馬会 (2020年4月15日). 2021年7月29日閲覧。
  51. ^ ビワハヤヒデが死亡”. 日本中央競馬会 (2020年7月21日). 2021年7月29日閲覧。
  52. ^ うらかわ優駿ビレッジAERUのツイート”. Twitter (2023年2月18日). 2023年2月18日閲覧。

関連項目

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