コンテンツにスキップ

洪天貴福

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幼天王 洪天貴福
太平天国
第2代天王
王朝 太平天国
在位期間 1864年6月 - 10月
姓・諱 洪天貴→洪天貴福
生年 道光29年10月9日
1849年11月23日
没年 同治3年10月20日
1864年11月18日
洪秀全
頼蓮英
后妃 黄氏
黄氏
侯氏
張氏

洪 天貴福(こう てんきふく、拼音: Hóng Tiānguìfú)は、太平天国の第2代天王。初代天王洪秀全の長男。初名を天貴としていたが、後にの字が加えられた。

捕えられた洪天貴福

生涯

[編集]

道光30年(1851年)に洪秀全太平天国を建国すると幼主に立てられ、同治3年5月3日1864年6月6日)、父の死後に天京(南京)にて幼天王として即位した。

7月、天京攻防戦で天京が陥落すると江蘇省東壩に逃れ、安徽省広徳を経て浙江省湖州に移る。8月末江西省広東省福建省一帯で活動していた李世賢のもとへ向かうが、10月9日清軍の待ち伏せに遭い敗れ、さらに逃亡を図った。

だが、10月25日江西省石城県荒山で捕らえられ、11月18日に江西巡撫沈葆楨によって南昌凌遅刑によって処刑された。満15歳を目前にした刑死であり、凌遅刑に処せられた最若年記録とされる。その際、大泣きしながらおよそ1,400回切られた時点で絶命した。

先代
洪秀全
太平天国の第2代天王
1864年
次代
滅亡