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真幸駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
真幸駅
駅舎(2017年3月)
まさき
Masaki
矢岳 (7.3 km)
(7.8 km) 吉松*
地図
所在地 宮崎県えびの市大字内堅947
北緯32度4分28.37秒 東経130度43分44.83秒 / 北緯32.0745472度 東経130.7291194度 / 32.0745472; 130.7291194座標: 北緯32度4分28.37秒 東経130度43分44.83秒 / 北緯32.0745472度 東経130.7291194度 / 32.0745472; 130.7291194
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
所属路線 肥薩線
キロ程 79.0 km(八代起点)
電報略号 マサ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
2人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1911年明治44年)3月11日[1]
備考 無人駅[2]
スイッチバック
* この間に熊本支社鹿児島支社境界あり(当駅から矢岳寄りは熊本支社管内)
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真幸駅(まさきえき)は、宮崎県えびの市大字内竪にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線である。

概要

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肥薩線唯一の宮崎県内の駅で、県内で最初にできた駅である。矢岳駅は熊本県、吉松駅は鹿児島県にあり、3駅連続して所在県が変わる(このような例は他に東北本線古河駅東武日光線板倉東洋大前駅がある)。「真の幸せに入る」に通じるとして、入場券などで人気がある。以前は駅周辺には集落があったが[注釈 1]、度重なる土石流災害で住民が移転し、現在は周辺の建物もまばらである。

歴史

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ホーム上の「山津波記念石」(2008年8月)

その名前に反して、当駅とその周辺路線は災難に見舞われている。

終戦直後の1945年昭和20年)8月22日、多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山神トンネル内で立ち往生した。その原因は空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁が落下して肥薩線が唯一の運転ルートだったことや、戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足に加えて、復員軍人で満員状態だったことなどである。蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させ、53名が轢死した。この事故は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」車内でも説明される。なお、この事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っている。詳しくは肥薩線列車退行事故を参照。

1972年(昭和47年)7月6日折からの集中豪雨の影響で駅の裏山斜面が8合目付近から高さ350 m×幅280 mにわたって崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み死者4名、負傷者5名のほか住家28棟、非住家29棟流失の被害を出した。14時15分頃から5回にわたって発生した土石流の土砂は合わせて約30万 m3もの膨大な量に及び、肥薩線を切断し、当駅構内を土砂で埋め尽くすと共に、白川沿いに約1.5 kmの広範囲に渡って流出した。線路と駅は復旧されたものの住居に被害を受けた世帯全戸が移転したために当駅周辺はほぼ無人地帯となった。なお、この土石流は現在においても宮崎県最大規模のものとされている。ホームには、このとき流れ込んだ重さ約8トンの巨石がそのまま残されているほか、有人駅時代は駅員が流れ込んだ土砂を毎日整地していた[注釈 2]

2000年平成12年)3月12日のダイヤ改正で熊本と宮崎を結んでいた急行「えびの」が廃止されるまで、急行停車駅であった。

年表

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駅構造

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島式ホーム1面2線を有する地上駅で、木造駅舎を有する。肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、かつて運転されていた優等列車も必ず停車しなければならず、急行列車は客扱いを行っていたが、特急列車は運転停車であった。

駅舎は開設当初のものであり、発車ベルが設置されている。地域のボランティアが駅ノートを設置し、特産品やお茶のサービスなどを行っている。また、ボランティアがいる時間帯では記念入場券を購入することができる。

ホームの中程に「幸福の鐘」が置かれている[8]。幸せと感じる度合いに応じて鳴らすのが良いとされている[8]

のりば

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のりば 路線 方向 行先 備考
1 肥薩線 上り 人吉熊本方面  
2 下り 吉松宮崎鹿児島方面 宮崎(都城)・鹿児島(隼人)方面は吉松にて乗換
  • 近年では人吉駅以北へ直通する列車の設定がなかったが、2016年3月のダイヤ改正より、「いさぶろう1号」及び「しんぺい4号」が熊本駅まで、普通列車上下各1本が八代駅まで直通する[9]

利用状況

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2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員2人である。

近年の1日平均乗車人員は以下の通り。

年度 1日平均
乗車人員
1995年 1
1996年 1
1997年 1
1998年 3
1999年 3
2000年 2
2001年 2
2002年 2
2003年 13
2004年 1
2005年 1
2006年 1
2007年 1
2008年 2
2009年 3
2010年 1
2011年 5
2012年 2
2013年 2
2014年 1
2015年 2

駅周辺

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駅前の国道447号(2017年3月)

すぐそばに国道447号が通っているが、駅周辺は林に隣接していて閑散としている。

  • 真幸鉱泉(飲料用)

その他

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  • 2009年12月に発行した広報えびの(えびの市の広報誌)では肥薩線の開通100周年を記念して「真(ほんとう)の幸せをさがす旅へ」と題した特集が組まれた[10]

隣の駅

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※観光列車「いさぶろう・しんぺい」の停車駅は列車記事を参照のこと。

九州旅客鉄道(JR九州)
肥薩線
矢岳駅 - 真幸駅 - 吉松駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 1966年(昭和41年)までは西諸県郡真幸町であったが、飯野町・加久藤町と合併して「えびの町」となった後、1970年(昭和45年)に市制施行して「えびの市」となった。
  2. ^ (無人駅となった現在は接着剤で固められている)

出典

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  1. ^ a b c 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、16頁
  2. ^ 『週刊 JR全駅・全車両基地』 33号 熊本駅・嘉例川駅・大畑駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年3月31日、27頁。 
  3. ^ a b 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、17頁
  4. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、18頁
  5. ^ a b 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、703頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  6. ^ a b 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 2号、19頁
  7. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  8. ^ a b 安全、幸福祈る鐘 宮崎・JR真幸駅(探検!九州・沖縄) はっけん旅の窓」『日本経済新聞』2018年12月16日。オリジナルの2018年12月21日時点におけるアーカイブ。2024年7月18日閲覧。
  9. ^ 平成 28 年春ダイヤ改正”. 九州旅客鉄道 (2015年12月18日). 2024年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月19日閲覧。
  10. ^ JR肥薩線開通100周年記念特集 真(ほんとう)の幸せ さがす旅へ” (PDF). 平成21年度広報えびの12月号. えびの市. pp. 2-17 (2009年12月20日). 2023年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月18日閲覧。

参考文献

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  • 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「肥薩線・吉都線・三角線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第2号、朝日新聞出版、2009年7月19日。 

関連項目

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外部リンク

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  • 真幸駅(駅情報) - 九州旅客鉄道